2016年5月31日火曜日

George Akerlof 「木の上の猫 ~経済危機に関する私見~」

●George A. Akerlof, “The cat in the tree and further observations: Rethinking macroeconomic policy”(VOX, May 9, 2013)
経済学者は危機の到来をうまく予測することができなかった。しかしながら、危機に対処するために導入された一連の経済政策はそのほとんどが「経済を専門とする名医」の処方箋に近いものだったと言える。良い経済学(経済学の教えの中でも質的に優れたもの)も良識(健全な世間知)もこれまでのところかなりうまく働いている。これまでに様々な対策が試みられ、成果もきちんと上がっている。このことは将来への教訓として胸に刻んでおかねばならないだろう。

編集者による注記:この記事はIMF主催のカンファレンス「マクロ経済政策を再考する<第二弾>:初動対応と現段階での教訓」(“Rethinking Macro Policy II: First Steps and Early Lessons”)の模様を回想して書かれたエッセイのトップを飾るものである。

今回IMFが主催したカンファレンスでは「マクロ経済政策の再考」がテーマとして掲げられた(IMF 2013)。私もその場に参加させてもらったわけだが、多くのことを学ぶことができた。カンファレンスの席上でスピーチしてくださったすべての方々に大いに感謝したいと思う。今回のカンファレンス全体の印象を一つのまとまったイメージとして描き出すとどうなるだろうか? 誰かの役に立つかどうかはわからないが、私なりのイメージを語らせてもらうと次のようになるだろう。猫が大木によじ登り、木の上の高い所にじっと居座っている。そしてその猫を頭を抱えて見上げる人々の群れ。そういうイメージだ。言うまでもないだろうが、「猫」というのは2008年以降に我々の身に襲いかかることになった大規模な経済危機を指している。今回のカンファレンスでは「木の上に居座る愚かな猫をどう取り扱うべきか?」「猫を木の上から降ろすためにどうしたらいいだろうか?」という問いを巡って参加者一人ひとりが思うところを吐露したわけだ。その様子を眺めていてとりわけ感銘を受けたのは、「猫」に対するイメージ(「猫観」)が各人ごとで違っており、意見が被るということがなかったことだ。とは言え、延々とすれ違いが続くというわけではなく、時として互いの意見がうまくかみ合う(補強し合う)瞬間が訪れる。今回のカンファレンスを振り返ってみるとそういうイメージが浮かんでくるのだ。今回のカンファレンスで交わされた討論は大変有益なものだったというのが私の感想だが、それというのもどの「猫観」もそれぞれ独自の観点から導き出されたものだったからだ。そしていずれの「猫観」もそれぞれ妥当な根拠に裏付けられている。私自身の「猫観」はどういうものだろうか? 哀れな猫が木の上にいて今にも飛び降りようとしている。しかし、木の下でその様子を眺めている人間たちはどうしていいかわからないでいる。こういう感じになるだろう。


経済危機に関する私見

それではこの度の危機に関する私なりの考えを具体的に論じていくことにしよう。これまでのところ「猫」の扱いはどのくらい上手くいったと言えるだろうか? これまでに大勢の人々がそれぞれ独自の観点から訴えてきた多様な主張を私なりに少々違った角度から照射してみることにしよう。

以下では議論の対象を危機以降のアメリカ経済に限定するが、これから論じることはその他の国々にとっても関係してくることだろう。まず何よりも真っ先に取り上げたいのはオスカー・ヨルダ(Oscar Jorda)とモリッツ・シュラリック(Moritz Schularick)、そしてアラン・テイラー(Alan Taylor)の三名の手になる大変優れた共著論文である(Jorda, Schularick&Taylor 2011)。この論文では1870年から2008年までの間に先進14カ国で発生した景気後退が金融危機を伴う景気後退(financial recession)とそうではない(金融危機を伴わない)通常の景気後退(normal recession)の2つのタイプに分類されている。景気後退に先立つブーム期に与信残高の対GDP比はどの程度の値に達したか? (景気後退に先立つ)ブーム期における与信残高の対GDP比の値の違いに応じてその後に発生した景気後退の性質(GDPの落ち込みの程度やGDPの回復ペース)にどういう違いが見られるか? 彼らの論文ではその点について詳しく検証されているわけだが、その検証の結果として実証的に確たる裏付けのある次のような発見が得られている。

  • 金融危機を伴う景気後退は通常の景気後退に比べて落ち込みの程度が大きいだけではなく、その後の景気回復の足取り(景気回復のペース)も鈍い傾向にある。さらには、金融危機を伴う景気後退の中でもその後の景気回復の足取りには違いが見られ、景気後退に先立つブーム期における与信残高の対GDP比の値が高いほどその足取り(景気回復のペース)は鈍い傾向にある。

以上の発見は過去の歴史を振り返るとそうだったという話だ。過去のエピソードの検証を通じて得られた以上の発見は目下の危機についてどのような光を投げ掛けるだろうか? その答えは「与信残高」をどう測るかによって左右されることになる。

  • 民間部門における銀行融資残高で「与信残高」を測った場合(「与信残高」=「民間部門における銀行融資残高」):ピーク時(景気後退入りする前の景気の山の時点)のGDPの水準と景気後退入りして以降のGDPの水準との差に着目すると、2007年以降のアメリカの景気回復局面では過去の似たような事例(景気後退に先立つブーム期における与信残高の対GDP比が同じくらいの値を記録した過去の事例)の平均と比べるとその差は1%程度ほど小さいことがわかる。
  • 民間部門における銀行融資残高にシャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高を加えた場合(「与信残高」=「民間部門における銀行融資残高」+「シャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高」):シャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高も加えるとそれに応じて「与信残高」の対GDP比の値も高まるわけだが、同じくピーク時(景気後退入りする前の景気の山の時点)のGDPの水準と景気後退入りして以降のGDPの水準との差に着目すると、2007年以降のアメリカの景気回復局面では過去の似たような事例の中央値と比べるとその差は4%程度ほど小さいことがわかる。

以上の点について詳しくは論文のグラフ をご覧いただきたいが(訳注1)、金融デリバティブの隆盛に伴って「与信(信用)」(‘credit’)をどう測ればいいのかがますますよくわからなくなってきている面がある。

デリバティブがリスクヘッジのための手段として機能するようであれば、金融市場がクラッシュしてもデリバティブの存在のおかげでそのインパクトは和らげられることになる。そう予想されることだろう。例えば、クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)を購入しておけばお金を貸している相手が債務不履行に陥ってもその煽りを受けて自分も破産してしまうというリスクを避けることができる。そういう意味ではクレジット・デフォルト・スワップは金融市場がクラッシュした場合にそのインパクトを和らげる働きをすると予想されることだろう。その一方で、(クレジット・デフォルト・スワップをはじめとした)デリバティブはギャンブルに近い投機的な活動を後押しする可能性があるという立場に立つと、デリバティブは金融市場がクラッシュした場合のインパクトを増幅する働きをすると予想されることだろう。

2007年~2008年のアメリカで金融市場がクラッシュした際にはデリバティブは様々な経路を通じてギャンブルに近い投機的な活動を後押しする役割を果たしていた。一般的にはそのように解釈されている。こういう話がよく持ち出されるものだ。(カリフォルニア州の)セントラル・バレーで怪しげな相手に貸し出された複数の住宅ローン(モーゲージ)がひとまとめにしてプールされ、それを担保にあれこれの証券が組成される。そしてそのようにして生み出された証券に格付け機関からAないしはそれ以上の評価が与えられる。デリバティブはかようにして住宅ローンの評価を順繰りに吊り上げる仕組みを生み出すことになったのだ、と。怪しげなジャンクが格付けに影響を及ぼさない環境が用意され、そのためにモーゲージのオリジネーター(住宅ローンの原債権者)は住宅ローンの借り手に頭金を要求するインセンティブも借り手の信用調査を行うインセンティブも失うことになった。頭金の支払いも求めないし信用調査も行わないというケースは実際のところそう珍しくもなかったのである。

新たなデリバティブが次々と編み出され、そのどれもこれもに高い格付けが与えられる。そのようなことが可能となったのは投資銀行や格付け機関が「受託者」(fiduciary)という立場に伴う高い評判を存分に活用したためだった。デリバティブに備わるこのような(ギャンブルに近い投機的な活動を後押しする)役割を踏まえると、銀行融資残高にシャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高を加えて「与信残高」を測ったとしてもその指標では金融面の脆弱性を正確に捉えることはできない(金融面の脆弱性の程度が過小評価されることになる)だろうし、その指標に依拠したベンチマーク(金融危機を伴う景気後退が発生した後の景気の落ち込みの程度に関する想定)も控え目なものとなってしまうことだろう。


政策の成否を測るベンチマークとしての大恐慌

2008年の秋頃に世間一般に広まっていた認識は「与信残高」に依拠したベンチマークが控え目なものであることを見抜いていたようだ。政府が介入しなければ(政府が何らかの対策を講じなければ)「大恐慌」級の不況がやって来るだろう。2008年の秋頃にはそのように考えられていた。「大恐慌」がベンチマーク(現状を評価するための物差し、政策の効果を測るための比較対象)として想定されていたわけだ。「大恐慌」というベンチマークに照らして考えると、これまでに手掛けられたマクロ経済政策は「グッド」というにとどまらず「エクセレント」という評価に値すると言えるだろう。アラン・ブラインダー(Alan Blinder)も出色の一冊である『After the Music Stopped』の中でまったく同様の評価を下している(Blinder 2013)。

これまでに手掛けられた危機への対応策はそのほとんどが「経済を専門とする名医」の処方箋に近いものだったと言える。その具体的な例を列挙すると以下のようになる。

  • 2008年景気刺激法
  • 保険大手のアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)への公的資金の注入(を通じた救済)
  • ワシントン・ミューチュアルやワコビア、カントリーワイドといった大手金融機関の救済合併
  • 不良資産救済プログラム(TARP)
  • 財務省とFedが中心となって進めた銀行のストレステスト(健全性審査)
  • Fedによるゼロ金利政策(政策金利をほぼゼロ%の水準にまで引き下げる)
  • 2009年アメリカ復興・再投資法(ARRA)
  • 自動車業界の救済
  • IMFが主導的な役割を果たしたG20ピッツバーグ・サミットでの合意内容に沿った国際協調(国際的な政策協調)

危機への対応策との絡みで私なりに不満を感じていることもなくはない。

  • 政策の成否は足許の失業率の高さで測るのではなく、ベンチマークとの比較で測るべきだ。景気後退に先立つブーム期に金融面での脆弱性がどこまで高められることになったか、そして金融面での脆弱性が顕在化した後に何の対策も講じずに放っておいたらどうなっていたと考えられるか? そのような想定を通じてベンチマークを拵え、そのベンチマークと現状(何らかの対策が講じられた現実の状況)との比較を通じて政策の成否を測るべきだ。経済学者は世間に向けてそう訴えるべきだったのだ。

(金融面での脆弱性が顕在化した後に何の対策も講じずに放っておいた場合(ベンチマーク)と現状とを比べた上で判断すると)これまでのところマクロ経済政策は成果を上げている。経済学者は世間に向けてそう説明すべきだったのにその任務をうまくこなせずにいる。とは言え、仮に経済学者がきちんと説明していたとしても世間がその説明をすんなりと受け入れたとは限らない。そう考えるに足るそれなりの理由もある。世間一般の人たちはマクロ経済学やマクロ経済の歴史を学ぶ以外にもやるべきことをたくさん抱えているのだ。

しかしながら、これまでに手掛けられた一連のマクロ経済政策がかなり高い成果を収めたことに気付くためには(マクロ経済学やマクロ経済の歴史に習熟せずとも)ちょっとした良識を働かせるだけでいい。例えば、リーマン・ブラザーズが1ドルの赤字を計上しており、破産裁判所の厄介にならないで済む(経営破綻という事態を避ける)ためには1ドルの黒字に転じるだけでいいとしよう。その場合、今まさに危機が起きようとしている決定的な瞬間を逃さずにわずか2ドルの公費を投じるだけで「大恐慌」級の不況が回避される可能性があることになる。「大恐慌」級の不況を避けるためには2ドルあれば十分というわけであり、この2ドルは「堤防の裂け目に突っ込まれた指」(訳注2)のようなものというわけだ。

言うまでもないが、実際のところは金融機関を救済するために投じられた公費は2ドルでは済まなかった。そのために必要となる金額はプラスの値になることは避けられないだろうし、その額は最終的には数十億ドルに及ぶ可能性もある。しかしながら、金融機関を救済するために公費を投じたおかげで金融システムのメルトダウンが避けられたことは確かだ。仮に(金融システムのメルトダウンを避けることができず、その結果として)「大恐慌」級の不況に見舞われていたら数兆ドル単位に及ぶGDPが失われていた可能性があるわけだが、そうだとすると不良資産救済プログラム(TARP)の費用対効果は(金融機関を救済するために数十億ドルの公費を投じることで「大恐慌」級の不況(数兆ドル単位のGDPが失われる事態)が回避される可能性があるという意味で)1対1000にも上るということになる。費用対効果が1対1000だというのだから「堤防の裂け目に突っ込まれた指」という喩えを持ち出しても誇張でも何でもないと言えるだろう。

それに比べるとブッシュ政権とオバマ政権のもとで試みられた財政刺激策(2008年景気刺激法と2009年アメリカ復興・再投資法)は費用対効果の面でいくらか見劣りする。とは言え、効果があったことは確かだ。政府支出乗数の値は今のところ2くらいだと推計されているが、その値は直感的にも納得いくものだ。流動性の罠に嵌っている状況では均衡予算乗数の値は理論的にはおよそ1くらいであり、実証的に見てもそのくらいだと推計されている。減税乗数(租税乗数)の値も同じく1くらいだと推計されている。政府支出乗数は均衡予算乗数と減税乗数の和として求められる。それゆえ政府支出乗数の値は2くらいということになるわけだが、そうだとすると財政刺激策もかなり大きな見返りが期待できる対策であることは確かだと言えるだろう。


結論

まとめることにしよう。危機の予測という点に関しては経済学者はダメダメだった。その一方で、危機が勃発してからこれまでの間に手掛けられた一連の経済政策は「経済を専門とする名医」の処方箋に近いものだったと言える。そのような一連の経済政策はブッシュ政権およびオバマ政権の両政権を通じて次々と取り入れられたものであり、議会もそれを支持したのだった。

良い経済学(経済学の教えの中でも質的に優れたもの)も良識(健全な世間知)もこれまでのところかなりうまく働いている。これまでに様々な対策が試みられ、成果もきちんと上がっている。このことは将来への教訓として胸に刻んでおかねばならないだろう。

編集者による注記:この記事は元々iMFdirectに投稿されたものだが、IMFの許可を得た上で本サイトにも転載される運びとなった。


<参考文献>

●Blinder, Alan S (2013), After The Music Stopped, Penguin.
●IMF (2013), “Rethinking Macro Policy II: First Steps and Early Lessons”, conference, 16-17 April.
●Jorda, Oscar, Moritz Schularick and Alan Taylor (2011), “When credit bites back: Leverage, Business Cycles and Crises”, NBER Working Paper Series 17621, NBER.


(欄外訳注1)


このグラフはJorda, Schularick&Taylor論文のpp.36にあるFigure. 5 (b) を転載したものである。民間部門における銀行融資残高で「与信残高」を測った場合(「与信残高」=「民間部門における銀行融資残高」)の過去の似たような事例は茶色の線で表されており、民間部門における銀行融資残高にシャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高を加えた場合(「与信残高」=「民間部門における銀行融資残高」+「シャドー・バンキング・システムを通じて供与された信用残高」)の過去の似たような事例は赤線で表されていると大まかに捉えてもらって構わないだろう。2007年以降のアメリカ経済の軌跡は紫色の線で表されている。縦軸はピーク時(景気後退入りする前の景気の山の時点)のGDPとその時々のGDPとの差を表しており、横軸は景気後退入りしてからの経過年数を表している。曲線が縦軸の0の値に近づくほど景気の復調に伴ってピーク時のGDPとの差が縮まっていることを示している。ちなみに、Jorda, Schularick&Taylor論文の概要は次のVOXの記事で知ることができる。 ●Moritz Schularick and Alan Taylor, “Fact-checking financial recessions: US-UK update”(VOX, October 24, 2012)

(欄外訳注2) 「堤防の裂け目に突っ込まれた指」(finger in the dyke)というのはアメリカの作家であるメアリ・メープス・ドッジの作品『銀のスケート-ハンス・ブリンカーの物語』の中の「ハールレムの英雄」という話(堤防の裂け目に自分の指を突っ込んで水漏れを塞ぎ、村が水浸しになることを防いだオランダの少年が主人公のフィクション)に由来する表現のようだ。堤防の裂け目に指を突っ込むという一見些細な行動が大災害を防いだごとくに費用対効果が驚くほど大きい、というような意味が込められているのであろう。

Martin Ravallion 「『貧困への目覚め』 ~過去3世紀の間に『貧困』に対する注目はどのような変遷を辿ってきたか?~」

●Martin Ravallion, “Poverty Enlightenment: Awareness of poverty over three centuries”(VOX, February 14, 2011)

世間一般の人々が「貧困」に注目し出してからどれくらいの期間が経っているのだろうか? 1700年以降に出版された書籍の中で「貧困」という単語がどれだけの頻度で使用されているかを調査した結果、次のような事実が明らかになった。1740年から1790年までの間に「貧困」という単語への言及頻度は急増を見せたものの――一度目の『貧困への目覚め』の時代の到来――、19世紀から20世紀の半ばにかけて貧困への注目は徐々に薄らいでいき、そして1960年頃を境として二度目の『貧困への目覚め』の時代が到来するに至っているのだ――「貧困」への注目は現在も高まり続けている最中である――。

貧困に対する世間一般の注目はこれまでにないほどの高まりを見せていると言えるかもしれない。例えば以下の図1をご覧いただきたい。この図はGoogle Books Ngram Viewerの助けを借りて作成したものだが、「貧困」(“poverty”)という単語が1700年から2000年までの間に出版された書籍の中でどれだけの頻度で使用されているかを調べた結果を表わしたものだ(縦軸に示されているのがその頻度の移動平均(その年に出版されたすべての書籍に含まれる総単語数で標準化したもの)である) (原注1)。この図によると、1740年から1790年までの間に「貧困」という単語への言及頻度が7倍に増えていることがわかる。この時期は啓蒙主義の時代が終わりを迎えようとしている頃――フランスとアメリカで革命(フランス革命とアメリカ独立戦争)が発生した時分――にあたるわけだが、貧困に対する注目が急速な勢いで高まりを見せた「貧困への目覚め」(“Poverty Enlightenment”)の時代としても特徴付けることができるわけだ。その後の19世紀から20世紀の半ばにかけて貧困に対する注目は衰えを見せることになるが、1960年頃を境として二度目の「貧困への目覚め」の時代(second Poverty Enlightenment)に突入することになる。1960年頃を境として突如として貧困への注目が再燃し、「貧困」という単語への言及頻度は(データが利用できる最新の年である)2000年の時点でこれまでのピークに達しているのだ。



図1. 「貧困」という単語への言及頻度 (1700年から2000年までの間に出版された英語圏の書籍が対象)

2度にわたる「貧困への目覚め」の時代の背後ではどのような事態が進行していた(いる)のだろうか? 私がつい最近の論文(Ravallion 2011)で取り組んだ問題がまさにこれであり、驚くべき速さで単語をカウントする能力を備えたGoogle Books Ngram Viewerの助力を得ながら(私自身の能力の制約もあってずっとのんびりしたペースでの)過去のテキストの読解を通じてその答えを探った結果の一部を以下で報告することにしよう。


一度目の「貧困への目覚め」

サミュエル・フライシャッカー(Samuel Fleischacker)が2004年に公にした著作(Fleischacker 2004)では分配的正義(distributive justice)というアイデアの歴史がものの見事に跡付けられているが、その中(pp.7)では次のように語られている。前近代の時代においては「貧困層はひどい欠点を抱えた無価値な存在と見なされていた」。例えば、ロバート・モス(Robert Moss)は18世紀初頭にこう述べている。貧乏人は「自らが置かれている状況に満足すべきである。というのは、貧乏人がかくのごとくであるのは神の望むところだからだ」。また、フランスの医師でありモラリストでもあったフィリップ・エッケ(Philippe Hecquet)は1740年に次のように書いている。「貧乏人は絵の中の影のようなものである。なくてはならないコントラストの役割を果たしているのだ」。「どうして貧困が発生するのか?」という問いに対する答えとしては「神の意志」が持ち出されるか、一人一人が抱える私的な問題――怠惰をはじめとした性格面での欠点――に目が向けられる傾向にあった。飢え(空腹)は好ましいことだという意見さえあった。空腹だからこそ(空腹を満たしたいと思うからこそ)貧乏人は働く気になるというわけだ。

18世紀後半に入ると特にフランスにおいて従来の社会的な階級構造を疑問視する声が次第に上がり始めるようになる。ピエール・ド・ボーマルシェ(Pierre Baumarchais)が1784年に書いた戯曲『フィガロの結婚』がそのいい例だが、パリの聴衆たちは召使のフィガロの側について貴族を嘲笑したのであった。フランスで芽生え始めた平等主義の精神はやがてイギリス海峡を渡ることになるが、頑なな抵抗に遭うケースもしばしばであった。例えば、イギリスにおける近代警察の生みの親であるパトリック・カフーン(Patrick Colquhoun)は1806年にこう書いている。貧困は「社会を成り立たせる上で最も必要で欠かせない要素である。貧困と無縁な国家や共同体は文明の地位に辿り着くことはできないのだ。」

貧困というのは自然的秩序の表れ(自然法則の帰結)ではなく政治・経済的な現象であるとの認識が広まるにつれて一度目の「貧困への目覚め」の時代が到来し、貧困層自身も貧困からの脱出を意識し始めるようになる。しかしながら、書籍の上では依然として「貧困は多かれ少なかれ避けることのできない(受け入れざるを得ない)この世の現実である」との見方が支配的であり、それは18世紀~19世紀の経済学の世界でも同様であった。当時の経済学者の中には貧困は経済が発展する上で必須の条件と見なす者もいた。そのような経済学者も実質賃金が上昇すれば貧困の削減につながることは否定しなかったものの、実質賃金が上昇すると富の蓄積が妨げられることになるかもしれないと懸念したのであった。実質賃金が高まれば労働の供給が減るばかりか輸出面での競争で不利な立場に立たされ、さらには労働者が贅沢品に夢中になって(仕事に身が入らずに)労働の質が低下するかもしれないというのである(輸出面での競争で不利な立場に立たされると富の蓄積が妨げられることになるとの発想の背後には重商主義的な世界観が控えていた)。また、トマス・マルサスが生態学的な危機の到来を予測し、人口の増加は貧困と飢饉(食糧不足)によってしか食い止められないと語ったことも有名である。社会進歩の可能性についてはマルサスよりもずっと楽観的であったアダム・スミスも経済発展(経済成長)の果実が社会各層に公平に行き渡る(分配される)可能性についてはそれほど大きな望みは抱いてはいなかった。スミスはこう語っている(Smith 1776, pp.232)。「大いに繁栄している地域においてはどこであれ格差もまた大きいものだ。1人の大金持ちに対して貧乏人が少なくとも500人はいるのが通例であり、少数の豊かさには多数の貧しさが伴っているのだ」。


二度目の「貧困への目覚め」

現代的な意味での「分配的正義」の発想――「社会に生きるすべての人に最低限度の生活水準が保障されるべきである」との発想――が(粗いかたちではあれ)その姿を表わしたのは18世紀後半の西欧世界においてであったが、その後の170年間を通じてこの発想は世間から徐々に忘れ去られることになる。とは言え、学術的な文献に目を向けると、その微かな命脈を確認することができる。19世紀から20世紀への転換期において経済学者のアルフレッド・マーシャルは『経済学原理』(1890)の巻頭(pp.2)で次のように問い掛けている。「貧困はこの世にとって必要なものだとする発想は過去の遺物ではなかったのか?」

しかしながら、世間の注目が再び貧困に向けられ、現代的な意味での「分配的正義」の発想に広い支持が寄せられるまでには1960年代に入って二度目の「貧困への目覚め」の時代が到来するのを待たねばならなかった。その中心的な舞台となったのはアメリカである。物質的な豊かさを享受していた20世紀中頃のアメリカで――公民権運動の盛り上がりに次ぐかたちで――貧困が「再発見」されることになったのである。そのような動きを後押しする上で大きな役割を果たしたのが当時の論壇を賑わせたJ・K・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith)の『ゆたかな社会』(1958)やマイケル・ハリントン(Michael Harrington)の『もう一つのアメリカ』(1962)(どちらも当時ベストセラーになった)といった一連の著作であった。政府もこのような世間の風潮に反応し、「貧困との戦い」(War on Poverty)を旗印にしたリンドン・ジョンソン政権下で貧困家庭に対する支援をはじめとした数々の社会プログラムが導入されることになったのである。

ガルブレイスやハリントンの上記の著作が大きな影響を持ち得た理由の一つは著作が発表されたタイミングが時宜を得ていたからというのもあるだろう。1950年代~1960年代のアメリカでは国民の大多数が豊かな生活を手に入れることになったが、それゆえにこそ貧困という問題を見過ごして平然としているがますます困難となっていったのである。それに加えて、当時は楽観的な雰囲気が充満しており、それは貧困の削減に向けた政策の効果についても同様に楽観的に捉えられていたのである。しかしながら、1980年代に入ると右派の側から反撃の狼煙が上げられ(チャールズ・マレー(Charles Murray)の『Losing Ground』(1984)がその代表である)、その勢いは1990年代における一連の福祉改革(社会保障制度の改革)へとつながることになる。「貧困との戦い」(“War on Poverty”)が宣言されたと思いきやその30年後に「福祉との戦い(福祉政策の縮小に向けた戦い)」(“War on Welfare”)が宣言されるに至ったというわけだ。貧困の問題についてはその原因や適切な政策対応を巡って現在でも世界中で議論が続いているが、その多く――例えば、貧しい原因のどの程度がその人(貧困層)自身にあると言えるのかといった問題を巡る論争――は200年前(一番目の「貧困への目覚め」の時代)の論争の焼き直しという面を強く持っている。

20世紀後半に入って貧困に対する世間一般の注目が再び高まりを見せている理由は他にもある。そのうちの一つは、発展途上国の広い範囲で厳しい貧困状態が蔓延っている事実が徐々に世界中の人々の目に留まり始めたことである。そのような気運が醸成されたのは1970年代に入ってからのことだが、開発政策の専門家に強い影響を及ぼしたのが世界銀行が1990年に刊行した『世界開発報告』(World Development Report)である。それ以降、世界銀行は「貧困のない世界」(“world free of poverty”)の実現を最重要目標に掲げ、専門家の間では貧困問題に関する実証研究が活発に行われるようになったのであった。


貧困と政策:貧困の削減に向けて

過去3世紀の間に貧困に対する世間の見方は大きなシフトを見せた。貧困の現実を現状肯定的に受け入れたり、貧困層を軽蔑しさえする態度が支配的な時代もあったが、現在はそうではない。社会や経済ないしは政府の成績(善し悪し)は貧困の削減にどの程度成功しているかによって少なくとも部分的には評価すべきだというのが現在の支配的な見方である。このようなシフトが生じた理由としてはいくつか考えられるだろう。世界経済が全般的に豊かになったことで貧困という問題を見過ごして平然としていることがますます困難となったという事情もあるだろうし、民主主義の広がりによって貧困層の声が政治に反映されやすくなったという事情もあるだろう。貧困に関する研究の進展に支えられて効果的な政策対応を可能とする知識の蓄積が進んだということもある。

過去3世紀の間には(貧困の削減に向けた政府介入の有効性をはじめとして)市場と政府の役割に対する態度の面でも大きなシフトが生じた。第二次世界大戦後の(Tanzi and Schuknecht(2000)が語るところの)「政府介入の黄金時代」(“golden age of government intervention”)においては(貧困の削減に向けた政策も含めて)幅広い範囲で政府介入が試みられたが、1970年代の後半以降になるとそれまでの流れに反発して政府の役割の縮小を求める動きが――経済問題の解決に向けた政府の介入には限界があることを明らかにした政治経済学方面の研究や積極的で精力的な政治運動に支えられるかたちで――勢いを増し始めることになったのである。

論争の行方や制度改革の方向性は右へ左へと揺れ動いているとは言え、Google Books Ngram Viewerを用いた文献解析によると、「政府介入の黄金時代」の終焉にもかかわらず、貧困に対する世間一般の関心はそれほど薄らいではないようである。それどころか、「貧困」や「格差」(inequality)といった単語への言及頻度は20世紀後半を通じてはっきりとした増加傾向を辿っており、1980年代以降に入って「社会政策」(social policies)や「社会保障(社会的保護)」(social protection)、「市民社会団体」(civil society organisations)といった単語への言及頻度が急速に増えているのだ――その理由のいくらかは貧困や格差に対する世間一般の関心の高まりにあるに違いない――(Ravallion 2011)。

今現在、貧困に対する世間一般の注目はこれまでにないほどの高まりを見せているわけだが、この状況をどうやって効果的な行動(取り組み)に結実させたらよいかとなるとそれはまた別の問題である。二度目の「貧困への目覚め」の時代においては意見の不一致があちこちで起こり、貧国の削減に向けた取り組みも成功ばかりではなく失敗もあった。19世紀の大半を通じてと同様に、今現在も政府介入に懐疑的な見方が力を持ち始めている。しかし、励みになる事実もある。「貧困は逃れようのない現実であり、受け入れざるを得ないのだ」といった19世紀に支配的だった現状肯定的な態度までは蘇ってきてはいないのだ。


<参考文献>

●Fleischacker, Samuel (2004), A Short History of Distributive Justice, Harvard University Press.
●Galbraith, John Kenneth (1958), The Affluent Society(邦訳 『ゆたかな社会 決定版』), Mariner Books.
●Harrington, Michael (1962), The Other America: Poverty in the US(邦訳 『もう一つのアメリカ-合衆国の貧困』), Macmillan.
●Michel, Jean-Baptiste, Yuan Kui Shen, Aviva P Aiden, Adrian Veres, Matthew K Gray, The Google Books Team, Joseph P Pickett, Dale Hoiberg, Dan Clancy, Peter Norvig, Jon Orwant, Steven Pinker, Martin A Nowak, and Erez Lieberman Aiden (2010), “Quantitative Analysis of Culture Using Millions of Digitized Books”, Science, 16 December.
●Marshall, Alfred (1890), Principles of Economics (8th edition, 1920)(邦訳 『経済学原理』), Macmillan.
●Murray, Charles A (1984), Losing Ground. American Social Policy 1950-1980, Basic Books.
●Ravallion, Martin (2011), “The Two Poverty Enlightenments: Historical Insights from Digitized Books Spanning Three Centuries”, Policy Research Working Paper 5549, World Bank.
●Smith, Adam (1776), An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations(邦訳 『国富論』), in Edwin Cannan (ed.), The Wealth of Nations, Chicago University Press.
●Tanzi, Vito and Ludger Schuknecht (2000), Public Spending in the 20th Century: A Global Perspective, Cambridge University Press.
●World Bank (1990), World Development Report: Poverty, Oxford University Press.


原注

(原注1) Google Books Ngram ViewerはMichel et al.(2010)によって開発されたものである。デジタル化した上でデータとして保存されている書籍の総数は520万冊、単語の数は5000億ワードを超えている。Google Books Ngram Viewerの長短についてはRavallion(2011)を参照されたい。

2015年2月5日木曜日

Jonathan Portes 「『ケインジアン』ってどういう意味?」

Jonathan Portes, “Fiscal policy: What does ‘Keynesian’ mean?”(VOX, February 7, 2012)

「ケインジアン」という言葉には一体どのような意味が込められているのだろうか? 経済学のその他の用語と同様に、「ケインジアン」という言葉も政争の具とされている感を強く受ける。そのために政策論争が不毛なものとなり、その結果として何百万もの雇用がいたずらに失われる羽目になっているのだ。

少しばかり私自身の個人的な経歴に触れさせてもらうが、1987年にイギリスの大蔵省で職を得た後、私は経済学を学ぶために一時的にプリンストン大学の門を叩いた。そこではロゴフ(Kenneth Rogoff)やキャンベル(John Campbell)から教えを受けたが、その後は再びイギリスに戻り、2008年に金融危機が勃発した際には内閣府で首相に経済政策に関してアドバイスを送る立場にあった。これまでの歩みを振り返ると、この間に自分自身のことを「ケインジアン」と考えたことが一度もなかったことに気付く。そもそも「ケインジアンかどうか?」と問うこと自体意味がなかったのだ。それはあたかも物理学者に対して「あなたはニュートン主義者ですか?」と問うようなものだったのだ。ケインズは偉大な存在であり(20世紀のイギリスを代表する最も偉大な人物の一人であることは間違いない)、彼の洞察を理解せずしてマクロ経済学を理解することはできなかったのである。しかしながら、そのような状況にも徐々に変化の波が押し寄せることになったのであった。

2008年に金融危機が勃発する以前の時期を振り返ると、イギリスの大蔵省ではマクロ経済を管理する術を巡って次のような見解が広く支持されていた。財政政策は確かに重要ではあるが、総需要を管理する術として利用するのは――実践上の理由からして――賢明ではない。総需要を管理する術としては財政政策よりも金融政策の方が優れている。というのも、金融政策の方が小回りが利き、透明性が高く、政治的な圧力によって歪みが生じる恐れが小さいからだ。このような見解に対して理論的な後ろ盾を与えたのがナイジェル・ローソン(Nigel Lawson)が1984年に行ったかの有名なメイズ講演である。当の私自身もこの見解を全面的に支持していた。

しかしながら、金融危機を経た2008年以降の世界では事情は少々複雑になっている。というわけで、ここで問うことにしよう。「ケインジアン」という言葉には一体どういった意味が込められているのだろうか? その候補としてはいくつか考えられるだろう。


定義<その1>

時計の針を1930年代まで戻すことにしよう。その当時ケインズはいわゆる「大蔵省見解」(‘Treasury View’)に明確に異を唱えた(「大蔵省見解」はしばしば「セイの法則」――供給はそれ自らの需要を生み出す――と同一視されることがあるが、そのような捉え方は幾分不公平ではある。ともあれ、「大蔵省見解」を巡る過去の論争の概要についてはQuiggin(2011)を参照されたい)。「大蔵省見解」によると、財政政策は「会計上の恒等式」の制約ゆえに総需要に影響を及ぼすことはできないとされる。政府が支出を増やすためには課税ないしは国債の発行(借り入れ)を通じて市中に出回っているお金を調達してこなければならず、政府が支出に回せるお金が増えると民間部門ではそれと同額だけ支出に回せるお金が減るというのである。さて、ここで「ケインジアン」の定義<その1>が得られることになる。「ケインジアン」というのは「大蔵省見解」――財政政策は「会計上の恒等式」の制約ゆえに総需要に影響を及ぼすことはできない――を受け入れない人々というわけだ。どうやらジョン・コクラン(John Cochrane)は「ケインジアン」をこのように定義付けているようだ(Cochrane 2009)。彼は次のように書いている。

まず第一に、お金が新たに発行されないとすれば、市中に出回っているお金をどこかから調達してこなければならない。政府があなたから1ドルを借り入れたとすれば、あなたの手を離れたその1ドルは消費に回されることもなく、企業に貸し出されることも(そしてその企業が設備投資を増やすことも)ない。つまりは、政府支出が増えた分だけ民間部門で支出が減らねばならないのだ。政府支出が増えたおかげで新たに雇用が生まれたとしても民間部門で支出が減るおかげで別のところで雇用が失われることになるのだ。財政刺激策を通じて道路を建設することは可能だが、その代わり民間部門で工場の建設が取り止められることになる。道路も工場もどちらもともに建設することはできないのだ。このようにして「クラウディング・アウト」が発生するのは会計上の必然的な結果に過ぎず、経済主体の行動についてどういった想定を置こうとも結論は左右されないのだ。

読者もよくご存知だとは思うが、コクランのこの主張をきっかけとして経済学ブログの世界でクルーグマン(Paul Krugman)やデロング(Brad Delong)らを中心として激しい論争が巻き起こることになった。例えば、サイモン・レン-ルイス(Simon Wren-Lewis)はコクランに対して「学部レベルの間違いを犯している」と手厳しい批判を加えている(Wren-Lewis 2012a)。デロングらが指摘しているように、その後コクランは当初の意見を幾分か引っ込めたようである(Cochrane 2012, Delong 2012)。アメリカでの学者間での論争はともあれ、私自身は定義<その1>に照らす限りでは――「大蔵省見解」に与しないという意味で――紛れもなく「ケインジアン」である。しかしながら、この意味では誰もが皆――現在のイギリス大蔵省を含めて――「ケインジアン」ということになるだろう。「財政政策は定義上(「会計上の恒等式」の制約ゆえに)総需要に影響を及ぼすことはできない」と本気で信じている人は現在では誰一人として――誇張でも何でもなく本当に誰一人として――いないのだ。


定義<その2>

もう少しもっともらしくて標準的な用法にも沿った「ケインジアン」の定義は次のようになるだろう。財政政策は(理論上の話にとどまらず)「実証的にも」(実際にも)総需要にかなり大きな影響を及ぼすと信じる人々、それが「ケインジアン」だというものである(定義<その2>)。それとは対照的な立場に立つのが「リカードの等価定理」(‘Ricardian equivalence’)を信奉する人々である。「リカードの等価定理」によると、政府支出や政府の借り入れに変化が生じても民間部門においてその変化を打ち消すような行動が引き起こされ、その結果総需要はほとんどないしはまったく影響を受けないとされる。比較的最近になって提唱され出した「拡張的な財政緊縮」(‘expansionary fiscal contraction’)と呼ばれる考えはもっと先鋭的な立場である。「拡張的な財政緊縮」の立場に立つ論者によると、(財政再建に向けた)財政緊縮策は為替レートの減価や民間部門における信頼感の改善を通じて総需要の拡大および経済成長の加速をもたらし得るとされる。この見解を流布する上で特に強い影響を持ったのが2009年に発表されたアレシナ&アルダーニャ論文(Alesina and Ardagna 2009)であり、(あくまでも些細で一時的なものだとは思うが)その影響はイギリス大蔵省にも及んでいる。例えば2010年の緊急予算には次のような記述が見られる。

財政再建に向けた財政緊縮策は民間部門の行動に変化を促す可能性があるが、民間部門におけるそのような行動の変化は総需要を刺激し、経済パフォーマンスの改善を後押しする方向に作用する可能性がある。そういったポジティブな効果は財政緊縮に伴って直接的に生じるネガティブな効果を上回ることもあり得る。

私が知る限りではイギリス大蔵省がこのような見解を表明した機会はこれ一度きりのようだ。それも頷けるところである。というのも、現実の証拠は「拡張的な財政緊縮」論が説くところとは正反対の結果を指し示しているからだ。アレシナ&アルダーニャ論文に対してはこれまでに多くの学者から疑問が呈されており、その後のIMF(国際通貨基金)の研究によってその結論が否定されてもいる。さらに重要なことには、「拡張的な財政緊縮」論を裏付けるようなエピソードを各国中探してもそういった事実はほとんど見当たらないのである。「拡張的な財政緊縮」論の妥当性に関する現在の通念はIMFがまとめている通りだと言っていいだろう。IMFは2010年10月の段階で既にこう結論付けている(詳しくはこちら(pdf)を参照されたい)。

財政再建は短期的には経済成長の減速をもたらす傾向にある。今回新たなデータを用いて検証したところ、GDP比で1%に相当する規模の財政緊縮(財政赤字の縮小)はそれ以降の2年の間に生産量(実質GDP)をおよそ0.5%だけ落ち込ませ、失業率を3分の1(0.333…)%だけ引き上げる傾向にあるとの結果が得られた。

その後、IMFはどちらかというとこの結論を強調する姿勢を見せている。例えば、IMFのチーフエコノミストであるオリビエ・ブランシャール(Olivier Blanchard)はつい最近次のように語っている。

「短期的に見ると財政再建は総需要の足かせとなることは疑いない。ということはつまり経済成長の足かせともなるということだ。」(Blanchard 2012

定義<その2>に照らす限りでは――財政政策は実際にも総需要に影響を及ぼすという見解を支持するという意味で――私自身はやはり「ケインジアン」である。しかしながら、この意味ではIMFの専務理事やチーフエコノミストも同じく「ケインジアン」である。それだけにとどまらない。イギリス大蔵省やイングランド銀行、イギリス予算責任局も「ケインジアン」に括られる。これらいずれの機関のマクロ計量モデルにも財政乗数が組み込まれているし、これらの機関で働く上級職員の中で財政再建に向けたこれまでの取り組みが実際問題としてイギリス経済の成長を鈍化させる効果を持ったことを否定する者はおそらくいないだろう。例えば、2011年11月に開催された(イングランド銀行の)金融政策決定会合の議事要旨(pdf)には次のような文言が見られる。

昨年1年間を通じてGDPの伸びは弱々しいものだったが、その理由は家計の実質所得の落ち込みや資金の借り入れが困難な状況が続いていること、そして長引く財政再建の影響に求められると思われる。

定義<その3>

定義<その1>と定義<その2>に照らす限りでは私は間違いなく「ケインジアン」だと言えるわけだが、しかしそれと同時に真面目に取り合うべき人々のあまりにも多くもまた「ケインジアン」ということになってしまうだろう。目下の政策論争の場で「ケインジアン」とそれ以外を区別するために用いられている定義はもう少し狭く限定されたものであり、これまでの2つの定義と比べるとずっと「政治的」な色合いが強いものだと言えるかもしれない。その定義というのは次のようなものだ。「今現在のイギリス経済(あるいアメリカ経済)が置かれている状況を踏まえると、財政再建のペースを遅らせることが好ましい」。そう考えるのが「ケインジアン」だというのである(定義<その3>)。しかしながら、個人的にはこの定義は色々と問題を抱えていると思う。そう考える理由は二つある。まず一つ目の理由は、「ケインジアン」という言葉が何らかの意味を備えるべきだとしたら、特定の時期に特定の国で議論の対象となっている特定の政策についての立ち場を指し示すための言葉として用いられるのではなく、もっと普遍的な意義を持った言葉であるべきだと思われるのだ。独自の哲学というか理論的な見解――少なくとも実証的な証拠を解釈する仕方――を指し示すための言葉であるべきなのだ。

二つ目の理由はもっと重要である。「拡張的な財政緊縮」論の妥当性には今や疑問符が付いているわけだが、そうだとすると「財政再建のペースを遅らせるべきだ」と語る陣営と「そのような決定(財政再建のペースを遅らせること)は大きな危険を伴う過ちと言わざるを得ない」と語る陣営との間の争点は財政再建のペースを遅らせることで経済に好ましい効果(訳注;財政再建のペースが遅らされることで財政緊縮策を原因とした景気の減速が和らげられる)が生じるかどうかという点にはないということになる(両陣営ともに好ましい効果が生じるという点に異論はない)。真の争点は財政再建のペースが遅らされることでマーケットが政府に対する「信頼」を失い、その結果として長期金利が跳ね上がるリスクがあるかどうか、そして長期金利が急騰した場合に経済に及ぶ損害は財政再建のペースを遅らせることに伴う好ましい効果を凌駕する可能性があるかどうかという点にあるのだ。

(財政再建のペースを遅らせることで)長期金利が跳ね上がるリスクはかなり誇張されており、財政再建のペースを遅らせた結果としてどのような事態が生じ得るかについて綿密な検討が加えられている様子はあまり見受けられないように個人的には感じるわけだが(この点について詳しくはPortes(2011a)およびPortes(2011b)を参照されたい)、果たしてどちらの陣営が正しいのかという話は少なくともここでの文脈ではどうでもいいことなのだ。両陣営の間で繰り広げられている論争にケインジアンかどうかという区別はまったく関係ないという点をこそ指摘したいのだ。マーケット全体が合理性を欠いた振る舞いを見せる可能性にどう取り組んだらよいか、格付け機関の役割についてどう考えるべきか、複数均衡の問題にどう対処したらよいか等々ここには多くの問題が控えているわけだが、こういった一連の問題についてどちらか一方の立場を表明したからといって「私はケインジアンだ」「お前はケインジアンではない」といったように截然と区別されるわけではないのである。

最後になるが、かつてイギリスの大蔵省に勤めていた際に学んだ経験との絡みで一点だけ指摘しておこう。かつての大蔵省でもそうだったのだが、総需要が極めて低調である際には財政政策ではなく金融政策(金融緩和)で対応するのが望ましいといった見解は今でも広く支持されている。この話題については経済学ブログの世界でも盛んに議論の対象となっている(とっかかりとしてはEconomist(2012)をご覧になられるといいだろう)。この話題に関する私の基本的な姿勢は正直言って変わった。過去20年間にわたって大蔵省を支配していた見解――総需要を管理する上で財政政策が果たすべき役割はない――には最早与してはいないのだ(とは言え、真っ先に財政政策に手を付けるべきだとまでは考えていない)。この点についてはサイモン・レン-ルイス(Wren-Lewis 2012b)が優れた要約(特に最後から2番目のパラグラフ)を行っているのでそちらもあわせてご覧になられたい。

総需要を管理する上では(財政政策よりも)金融政策の方が適しているという見解自体もそもそもは理論的な裏付けがあったわけではなく一種のプラグマティズム(pragmatism)にその根拠を持っていたわけだが、この話題に関して私が基本的な姿勢を変えた理由もそれと同様の事情からである。実際問題として総需要を刺激する上で金融政策単独で十分なのだとしたら、イギリス経済は今のような状況――失業率が自然失業率の推計を大きく上回っており、近い将来にこの状態が改善される見込みが薄い状況――にはそもそも置かれてはいないはずである。別のところでも触れたが(Portes 2012)、今のこのような状況(ひいては今のような状況をもたらしている総需要管理政策)は政策当局者の納得を得られるような代物では到底ないのだ。

私が姿勢を変えたのはイデオロギー上の理由からではない。現実の世界およびマクロ経済学はこれまでに想定していた以上にずっと複雑なものだという事実を真摯に受け止めた結果としてそうなったのだ。どうやらブランシャールも私と同じ立場を共有しているようだ。彼は次のように語っている(Blanchard 2011)。

金融危機後の世界はまったく新しい世界である。政策決定者の目の前に広がる光景はこれまでとはガラリと変わっている。まずはこの現実を受け入れねばならない。・・・(中略)・・・マクロ経済政策(とりわけ財政政策と金融政策)が追い求めるべき目標の数は一つではなく複数存在している。そしてその複数ある目標を達成するために使用し得る手段も複数存在しているのだ。

マクロ経済政策のあるべき姿を探る上ではプラグマティックな観点に立って何事も疑ってかかる姿勢を忘れないこと――そして現実の証拠の裏付けを徹底して追い求めること――。それこそが私の理想とする態度である。ケインズが今も生きていたとしたらおそらく彼も私に同意してくれるに違いない。


<参考文献>

●Alesina, Alberto F and Silvia Ardagna (2009), “Large Changes in Fiscal Policy: Taxes Versus Spending”, NBER Working Paper No. 15438, October.
●Blanchard, O (2011), “The future of macroeconomic policy”, blogpost, March.
●Blanchard, O (2012), “Driving the Global Economy with the brakes on”, blogpost, January.
●Cochrane, J (2009), “Fiscal Stimulus, Fiscal Inflation, or Fiscal Fallacies?”, University of Chicago webpage, version 2.5, 27 February.
●Cochrane, J (2012), “Stimulus and etiquette”, blogpost, January.
●Delong, B (2012), “John Cochrane says John Cochrane used to be a bullshit artist”, blogpost, January.
●Economist (2012), “The zero lower bound in our minds”, 7 January.
●Guajardo, J, D Leigh, and A Pescatori (2011), “Expansionary Austerity: New International Evidence”, IMF Working Paper 11/158, Research Department, International Monetary Fund.
●HM Treasury (2010), “Emergency Budget”.
●Lawson, N (1984), Mais Lecture.
●Leigh, D, P Devries, C Freedman, J Guajardo, D Laxton, and A Pescatori (2010), “Will it hurt? Macroeconomic effects of fiscal consolidation(pdf)”, World Economic Outlook, October, International Monetary Fund.
●Monetary Policy Committee (2011), Minutes(pdf), Bank of England.
●Portes, J (2011a) “The Coalition’s Confidence Trick”, New Statesman, August.
●Portes, J (2011b), “Against Austerity”, Spectator, October.
●Portes, J (2012), “The largest and longest unemployment gap since World War 2”, blogpost, January.
●Quiggin, J (2011), “Blogging the Zombies: Expansionary Austerity – Birth”, blogpost, November.
●Wren-Lewis, S (2012a), “Mistakes and ideology in macroeconomics”, blogpost, 10 January.
●Wren-Lewis, S (2012b), “The return of Schools-of-thought macro”, blogpost, 27 January.

2015年2月4日水曜日

Alan S. Blinder and Jeremy Rudd 「オイルショックの経済学」(2009年1月13日)

Alan S. Blinder and Jeremy Rudd, “Oil shocks redux: Why the recent oil shock wasn’t very shocking”(VOX, January 13, 2009)

つい最近の(2002年~2008年における)原油価格の高騰はどうして1970年代のように惨憺たる結果をもたらさなかったのだろうか? その理由はいくつか考えられる。 i)先進国において省エネ化が進んだため ii)実質賃金の伸縮性が高まったため iii)経済全体に占める自動車産業のシェアが縮小したため iv)金融政策がコアCPIに重きを置いて運営されるようになったため v)原油価格が高騰した原因が世界的に原油の供給が減ったことにではなく世界経済の堅調な成長に支えられて原油の需要が増えたことにあったため

2002年の終わりから2008年の半ばにかけてアメリカ経済は大規模なオイルショックに晒されることになった。原油のドル建て価格はこの間に5倍もの上昇を見せ、一時的に1バレル=145ドルをつけるまでに高騰したのである。インフレ率の上昇も勘案した実質ベースで見てもこの間の原油価格の高騰には仰天させられる。実質ベースで測ったピーク時の原油価格は1979年~80年のいわゆる第2次オイルショックの際に記録されたそれまでの最高値を何と50%も上回ることになったのである(原油価格は2008年7月にピークをつけた後に急落し、その後は1バレル=30~50ドルの間をうろついている)。

この間における原油価格の上昇幅はかつての2度にわたる(OPEC(石油輸出国機構)が主導した)オイルショック時と比べても遜色ないわけだが、マクロ経済に及ぼした影響ということで言うとかなり大きな違いが見られるようである。1970年代から1980年代前半にかけては高い失業率と高率のインフレが共存する時期――いわゆる「スタグフレーション」――が長く続いたわけだが、標準的な教科書ではその原因は「サプライショック」(原油価格や食料価格の急騰)にあると説明されている。その一方、アメリカでは2002年以降景気の拡大が続いたが、この間における原油価格の高騰によって景気の拡大に向けた動きに横槍が入った様子はほとんど見受けられないのである(アメリカは2007年の終わり頃に景気後退入りすることになったが、その主な原因はサブプライム危機に端を発する金融危機の発生に伴って消費者や企業の信頼感が大きく落ち込んだことにあると考えられる)。また、原油価格が上昇を始めた2002年終わり以降のコアCPI(食料やエネルギーの価格を除いた消費者物価指数)は比較的安定した動きを見せており、この点でもかつての2度にわたるオイルショック時と比べて極めて対照的な結果となっている。

このような結果をどう解釈したらよいだろうか? この問題と絡んでくるのが1970年代のスタグフレーションの原因を巡る「修正主義的な」解釈である。ここのところの原油価格の高騰はマクロ経済に対してこれといった影響を及ぼしてはいないように見えるわけだが、このような事実は1970年代のスタグフレーションの原因を巡る「修正主義的な」解釈の妥当性を裏付けるものだという意見があるのだ。この「修正主義的な」解釈――この解釈の主な提唱者としてはデロング(DeLong 1997)やバースキー&キリアン(Barsky and Kilian 2002)、チェケッティその他(Cecchetti et al. 2007)の名前を挙げることができる――によると、1973年から1983年にかけてマクロ経済のパフォーマンスが惨憺たる結果に終わったそもそもの原因はオイルショック(をはじめとしたサプライショック)にではなく稚拙な金融政策にあるとされる。例えば、デロングは次のように語っている。Fedは1930年代の大恐慌の悪夢に囚われており、そのためインフレを退治するために金融引き締めに乗り出すべきところでも二の足を踏む傾向にあった。それに加えて、当時においてはフィリップス曲線は長期的に見ても右下がりであると認識されており、Fedは高めのインフレを受け入れる代わりに失業率をできるだけ低く抑えようと試みる傾向にあった。デロングによると、Fedが抱えるこのような2つの傾向がインフレの昂進を不可避とする舞台を用意することになったというのだ。バースキー&キリアンも同様の立場に立っており、1970年代から1980年代初頭にかけて高インフレと高失業が発生した原因は当時の「ストップ&ゴー」型の金融政策に求められるという。バースキー&キリアンはさらに一歩踏み込んで次のようにも主張している。アメリカをはじめとした世界各国の金融緩和が原因で一般物価のみならず原油をはじめとしたコモディティの価格も高騰することになったのだ、と。つまりは、原油価格の高騰をはじめとしたサプライショックは(スタグフレーションを引き起こした原因ではなく)政策の失敗(行き過ぎた金融緩和)に付随して生じた現象に過ぎないというのだ。

我々二人はつい最近の論文(Blinder and Rudd 2008)で1970年代のスタグフレーションの原因を巡る「通説」(「サプライショック説」)――原油価格や食料価格の急騰(それに加えて、1970年代初頭における賃金・価格統制の撤廃)こそがこの時期における高インフレと高失業を引き起こした主たる原因だとする説――の妥当性の検証を試みている。サプライショック説がはじめて唱えられたのは30年以上も前のことになるが、この間に蓄積された新たなデータや新たな理論、新たな計量経済学上の証拠に照らし合わせてみてわかったことは、「通説」の妥当性は揺るがないということである。詳しくは論文をご覧いただきたいが、(1970年代のスタグフレーションの原因を巡る)「修正主義的な」解釈についても批判的な検証を加えている。


最近になってオイルショックの影響が弱まってきているのはなぜ?

ここで我々は大きな謎に直面することになる。「通説」の妥当性は揺るがず、それゆえ1970年代から1980年代初頭にかけてマクロ経済のパフォーマンスが惨憺たる結果に終わった主たる原因はサプライショックにあるということを踏まえると、つい最近の原油価格の高騰も同じくマクロ経済に対して大きな(負の)影響を及ぼしてもおかしくはなさそうなのにどうしてそうなってはいないのだろうか? 1980年代初頭以降もオイルショック(原油価格の高騰ないしは急落)は度々発生しているが、多くの論者によって裏付けられているように――例えば、フッカー(Hooker 1996, 2002)やブランシャール&ガリ(Blanchard and Gali 2007)、ノードハウス(Nordhaus 2007)を参照されたい――、かつてに比べるとオイルショックがマクロ経済に及ぼす効果は小さくなっているようだ。オイルショックがコアCPIに及ぼす影響は時代が下るにつれて急速に弱まってきており、生産や雇用はオイルショックからほとんど何の影響も受けないようになってきているのだ。

どうしてだろうか? その理由の一つは明らかである。1973年~74年のいわゆる第一次オイルショック(「OPEC I」)と1979年~80年のいわゆる第二次オイルショック(「OPEC II」)の後にエネルギーの消費を節約する動きが広がり、そのおかげもあってアメリカをはじめとする先進国では1973年当時と比べるとかなりの程度省エネ化が進むことになった。アメリカのケースで言うと、GDPあたりのエネルギー消費量(BTU単位で測った年間のエネルギー消費量をその年の実質GDPで除したもの)は劇的なペースで減少しており、1973年当時と比べるとほぼ半減するまでになっている。GDPあたりのエネルギー消費量が半減したことでオイルショックがマクロ経済――価格(原油以外の財・サービスの価格)および数量(生産や雇用)――に及ぼす影響も同じく半減することになったと思われる。

しかしながら、フッカーによると(Hooker 2002)、オイルショックがその他の財・サービスの価格(例えばコアCPI)に及ぼす影響は時とともにほぼ無視できるところまで小さくなっており、上で触れたばかりの省エネ化という要因によってはそのうちの半分しか説明できないということだ。さらには、我々の論文では産業連関表に依拠した上でエネルギー集約度に応じて消費財を分類し、オイルショック後にそれぞれの分類に含まれる消費財の価格がどのような反応を見せたかを検証しているが、2002年~2007年の期間に関しては両者の間には正の相関は見出せなかった(訳注;エネルギー集約度の高い消費財ほど原油価格の高騰後に価格の上昇幅が大きいといった関係は見出せなかったということ)。どうやら省エネ化以外の別の要因にも目を向ける必要があるようである。

ノードハウスはつい最近の論文(Nordhaus 2007)でそのような要因の候補を3つ挙げている。まず一つ目の候補は、つい最近の原油価格の高騰はその上昇ペースが比較的穏やかであり、それゆえその効果が薄められることになったというものである。確かに2002年~2008年の期間全体の累計で考えた場合にはこの間におけるオイルショックの規模はかなり大きなものだと言えるわけだが、年率ベースでみると原油価格の上昇ペースは「OPEC I」や「OPEC II」の際と比べるとずっと穏やかなのである。2002年~2008年における原油価格の上昇幅を年率ベースで測るとGDP比でおよそ0.7%という結果になるが(ただしノードハウスの試算では2006年第2四半期までしか対象に含まれていない点に注意願いたい)、「OPEC I」や「OPEC II」の際における原油価格の上昇幅を年率ベースで測るとGDP比でおよそ2%に及んでいるのである。原油価格の上昇ペースが穏やかであればそれだけその影響も弱まることになるだろう。

二つ目の候補は特に重要である。ノードハウスはFedがどのようなルールに従って政策金利を決定しているか(いわゆる「テイラー・ルール」)を推計しており、1980年以前のFedはヘッドラインCPI(食料やエネルギーの価格を含んだ消費者物価指数)に重きを置いて金融政策を運営していたが、1980年以降になるとコアCPIに重きを置く方向に姿勢が変わっていることを見出している。バーナンキその他(Bernanke et al. 1997)によると、かつてのオイルショック時に生産が落ち込んだ理由の多くはFedがインフレを抑えるために金融引き締めに動いたためだとされているが、そのような見方が正しいと仮定するとつい最近の原油価格の高騰がどうしてそれほど大きな生産の落ち込みを伴わなかったのかについてもそれなりに納得がいくことになる。というのは、先程も触れたようにオイルショックがコアCPIに及ぼす影響は時代が下るにつれて弱まってきている(原油価格が高騰してもコアCPIはほとんど上昇しなくなっている)わけだが、その事実とFedがコアCPIに重きを置くようになったことを考え合わせるとオイルショックの発生に伴って金融政策が変更される(原油価格の高騰に伴って金融政策が引き締められる)可能性は小さくなっている(訳注;あるいは原油価格の高騰に伴って金融政策が引き締められる場合でもその程度は穏やか)と予想されるからである。

ノードハウスが挙げている三つ目の候補は1970年代に比べて実質賃金の伸縮性が高まっている可能性である(訳注:このパラグラフではノードハウスの主張がかなり圧縮されたかたちで要約されており、そのまま訳したのでは内容がわかりづらいだろうと判断してNordhaus(2007)に照らし合わせて訳者の側で若干修正を加えている)。そうなっている(つい最近になって実質賃金の伸縮性が高まってきている)理由は原油価格の高騰はあくまで一時的なものだとの見方が世間一般に広がったことにあると思われるが、その結果として原油価格が高騰しても労働者は名目賃金の上昇を求める代わりに実質賃金の下落を受け入れるようになり、新古典派的なメカニズム(相対価格の変化に促された生産要素間の代替)(訳注;財・サービスを生産するにあたって相対的に高価になった生産要素(エネルギー)の代わりに相対的に安価になった生産要素(労働)の投入を増やすということ)の働く余地が広がることになった可能性があるのだ。また、原油価格の高騰はあくまで一時的なものだとの見方が広がったことで消費者も原油の高騰による実質所得の低下はあくまで一時的なものだと見なすようになり、その結果として原油価格の高騰が実質所得の低下を通じて総需要を冷え込ませるケインジアン的なメカニズムの効果がかつてに比べると和らぐことになった可能性もある。このような一連の変化はオイルショックが雇用や生産に及ぼす影響を弱める方向に作用することだろう。

ブランシャール&ガリもつい最近の論文(Blanchard and Gali 2007)で実質賃金の伸縮性が高まっている可能性に言及しているが、それに加えて1970年代以降に中央銀行の「インフレ・ファイター」としての信頼性が高まってきていることもオイルショックが最近になってかつてほど大きな影響を持たなくなってきている理由なのではないかとの仮説も提示している。中央銀行の「インフレ・ファイター」としての信頼性が高まれば原油価格が高騰してもインフレ予想はそれほど大きくは影響されない可能性があるが(ブランシャール&ガリはそのような証拠を見出している)、原油価格の高騰にもかかわらずインフレ予想が安定しているようであればコアCPIや生産に生じる影響はそれだけ小さくなると考えられるのだ(欄外訳注1)。ただし、彼ら自身も述べていることだが、今のところはこの見解にあまり重きを置き過ぎないように慎重を期しておくのが賢明な態度だと言えるだろう(自分たちのモデルは荒削りな面を多分に持っていると述べられている)。

キリアンはつい最近の論文(Kilian 2007)で実証的な裏付けのある2つの興味深い要因について言及している。いずれも国際貿易と深い関わりがあるものだ。まず一つ目の要因は1973年以降にアメリカ国内の自動車産業で構造転換が進んだことである――おそらくはかつての2度にわたるオイルショック(「OPEC I」と「OPEC II」)がそのきっかけとなっていると思われる――。かつてはアメリカ国内では小型で燃費の良い車はほとんど製造されておらず海外からの輸入に頼るしかなかったが、現在ではアメリカの消費者の前には小型で燃費の良い国産車が豊富に取り揃えられるようになっている。アメリカ国内でも小型で燃費の良い車が大量に製造されるようになったために、原油価格が高騰しても国産車の販売はかつてほど落ち込むことはなくなったのである(ここのところSUV車が流行の兆しを見せている。SUV車の流行はこれまでの小型化・低燃費化に向けた流れに逆行するものだと言えるわけだが、アメリカ国内のみならず世界各国の自動車産業は原油価格の高騰を受けてその代償を支払わされる格好となっている)。また、1970年代に比べると自動車産業がアメリカ経済全体に占めるシェアもずっと小さくなっており、このこともオイルショックが最近になってかつてほど大きな影響を持たなくなってきている理由の一つとなっている。

キリアンが指摘している二つの目の要因は原油価格の高騰をもたらしているそもそもの原因に関わるものである。2002年~2008年において原油価格が高騰した理由は(1970年代のように)世界的に原油の供給が減少したためでも原油市場に特有なショックが発生したためでもなく、世界経済の堅調な成長に支えられて原油に対する需要が増加したためであるようだ。原油価格の高騰はその原因の如何を問わずアメリカのような原油輸入国にとっては「オイルショック」を意味することに変わりはないが、世界経済が堅調な成長を続けているおかげで輸出も増えることになり、その結果として「オイルショック」に伴う負の影響(「オイルショック」に伴う生産の落ち込み)も和らげられる格好となったのである。


結論

まとめることにしよう。「最近になってオイルショックの影響が弱まってきているのはなぜか?」という疑問に答えるために長々と探りを入れてきたわけだが、その苦労も無駄ではなかったようである。無駄ではなかったどころか、我々の手元にあるリストにはその答えとなり得る候補が数多く列挙されている。そのうちのどれか一つが群を抜いているわけではなく、いずれの候補も多かれ少なかれ妥当性を備えているように思われる。この判断が正しいとすると、スタグフレーションの原因を巡る「サプライショック説」は今日でも依然としてその妥当性を失ってはいないということになるだろう。とは言え、それはあくまでも定性的な意味であって定量的にはかつてほど重要ではなくなっている(訳注;原油価格の高騰によってコアCPIが上昇したり生産(や雇用)が落ち込む可能性はあるが、その影響の量的な大きさは限られているということ)。よほどの不運(訳注;歴史上稀に見るほど過酷なサプライショック)や政策上の不手際に見舞われない限りは、(食料やエネルギーの価格の高騰をはじめとした)サプライショックに襲われたとしても1970年代や1980年代初頭のように過酷な痛みに苦しめられる必然性は最早ないのだ。


<参考文献>

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●Kilian, Lutz. 2007. “The economic effects of energy price shocks(pdf)”, University of Michigan, October. Mimeo.
●Nordhaus, William D. 2007. “Who’s afraid of a big bad oil shock?”, Brookings Papers on Economic Activity 2: 219-240.


<欄外訳注>

(欄外訳注1) 例えば、中央銀行が2%(コアCPIの上昇率が2%)のインフレ目標を掲げており、中央銀行はその目標を達成するためにどんなことでもするに違いないと多くの人々から信じられている場合、原油価格の高騰に突然襲われたとしても予想インフレ率は2%付近で安定したままである可能性が高い。その一方で、中央銀行がインフレ目標をどれだけ達成する気があるのか疑われている場合には原油価格の高騰に応じて予想インフレ率も高まる可能性がある。予想インフレ率が高まると将来的に実質賃金が目減りすることを防ぐために労働者の間から名目賃金の引き上げを求める声が高まり、その結果としてコアCPIで測ったインフレ率も上昇する恐れがある。仮にコアCPIで測ったインフレ率が目標である2%を上回った場合は中央銀行はインフレ目標を達成するために金融引き締めに動かざるを得ず、そのため景気が低迷して生産や雇用が落ち込むという結果が待っている。つまりは、中央銀行がインフレ目標をどれだけ達成する気があるのか疑われている場合には原油価格の高騰に応じて(予想インフレ率が高ることで)コアCPIに上昇圧力がかかり、その上昇圧力を抑え込むために金融引き締めが実施されて生産の落ち込みがもたらされることになる一方で、中央銀行はインフレ目標を達成するためであれば何でもするに違いないと高く信頼されている場合は原油価格が高騰しても(予想インフレ率が安定したままであるために)コアCPIはそれほど影響を受けず、それゆえ金融引き締めに乗り出す必要もない(=生産が落ち込むこともない)ということになる。この話題については例えば以下も参照のこと。 ●Ben S. Bernanke, “The Benefits of Price Stability”(February 24, 2006)/●Olivier Blanchard and Marianna Riggi, “The oil price and the macroeconomy: What’s going on?”(VOX, December 7, 2009

2014年10月22日水曜日

Itay Goldstein and Assaf Razin 「金融危機に備わる3つの顔 ~銀行取付け、信用市場の凍結、通貨危機~」

Itay Goldstein and Assaf Razin, “Theories of financial crises”(VOX, March 11, 2013)

金融危機はその特徴に応じて大まかに3つのタイプに分類することができる。銀行危機、(信用取引に伴う摩擦を原因とする)信用市場の凍結、そして通貨危機である。今回世界全体を襲った金融危機はこの3つの特徴をすべて兼ね備えており、互いに影響を及ぼし合いながら世界経済全体に大きな動揺をもたらすことになったのであった。金融危機をテーマとする過去30年以上にわたる先行研究の足跡を辿った上で言えることは、目下の状況を正確に捉えるためには金融危機を引き起こす数ある要因を同時に考慮に入れたモデルの開発が何よりも待たれるということである。

金融システムおよび通貨システムの役割は稀少な資源の効率的な配分を促すことで実体経済活動の円滑な働きを支えることにあると広く理解されている。事実、金融システムの発展が資源の効率的な配分を促すことで経済成長を後押ししていることを裏付ける実証的な証拠も数多い(Levine 1997, Rajan and Zingales 1998)。しかしながら、過去の歴史を振り返ると、金融システムや通貨システムに深刻な機能不全をもたらす金融危機が頻発していることもまた悲しい現実である。

多くの経済学者の意表を突いて世界全体の金融システムが大きな混乱に見舞われてからもうかれこれ5年になろうとしている。アメリカやヨーロッパでは主要な金融機関が相次いで経営危機に追いやられ、それに伴って貸出をはじめとした金融取引は急激な縮小を余儀なくされることになった。ユーロ圏経済は今なお厳しい状況に置かれている。今回の危機の背後ではどのような要因がうごめいていたのか? 危機から抜け出すためにはどうすればよいのか? 将来再び今回のような危機に陥らないようにするためにはどうしたらよいのか? これら一連の問いに答えを見出すことが多くの経済学者にとって最優先課題となっている(原注;過去数年にわたる世界的な金融危機の実態については多くの人々が詳細に取り上げている。その中でもBrunnermeier(2009)やGorton(2010)を参照されたい)。

今回の危機は過去に発生した金融危機に備わる主要な特徴を同時に併せ持っている。金融危機の背後でどのような要因が働いているかを説明し、金融危機に対処するための処方箋を提供するために経済学者はこれまで長年にわたり数多くの経済理論の開発に多大な努力を捧げてきた。(金融危機を説明するためにこれまでに開発されてきた)そのような経済理論の内容を正確に理解し、今後の課題として既存の理論をどのような方向に彫琢していく必要があるかを明らかにすることは現在我々が直面している目下の課題を克服するためにも金融システムを改革して将来同様の事態に陥らないよう備えるためにも欠かせない作業である。

つい最近我々二人は金融危機をテーマとする過去30年以上にわたる膨大な先行研究の足跡を辿り、その結果を展望論文としてまとめ上げたばかりである(Goldstein and Razin 2012)。過去の金融危機はその特徴に応じて3つのタイプに分類することが可能であり、これまでの先行研究もそれに応じて3つの領域に細かく区別することができる(原注;今回の論説のもととなる論文(Goldstein and Razin 2012)では数多くの先行研究を参考文献として掲げている。今回の論説ではあくまでもその一部だけにしか言及がなされていない点に注意されたい)。まず第1の研究領域は銀行危機(あるいは銀行パニック)をテーマとするものである。そして第2の研究領域は信用取引に伴う摩擦と信用市場の凍結をテーマとするものである。そして最後に第3の研究領域は通貨危機をテーマとするものである。今回世界全体を襲うことになった金融危機はこれら3つの特徴(銀行危機、信用市場の凍結、通貨危機)をすべて兼ね備えており、互いに影響を及ぼし合うことになったというのが我々の判断である。以下では金融危機をテーマとする先行研究の概要を3つの研究領域ごとにそれぞれ簡単に振り返ってみることにしよう。


銀行危機

銀行危機(あるいは銀行パニック)をテーマとする研究は1983年のダイアモンド&ディヴィグ論文(Diamond and Dybvig 1983)にまで遡る。銀行は預金者から「短期」で借り入れた資金(預金)を基にして「長期」貸出(銀行ローン)を行う資産変換機能を果たしているが、そのおかげで短期的な(あるいは緊急の)資金の必要性に迫られる可能性のある投資家に対してリスクシェアリングの機会が提供されるかたちになっている(欄外訳注1)。しかしながら、銀行が資産変換機能を果たすことにはリスクも伴っている。大勢の預金者が大挙して預金の引き出しに殺到する銀行取付け(bank run)に晒される恐れがあるのだ。銀行システムは銀行取付けの可能性と常に隣り合わせであり、そのような脆弱性の根底にあるのは「協調の失敗」(coordination failure)である。預金の引き出しに殺到する預金者の数が多いほど銀行が倒産する可能性も高くなるが、そのため他の預金者たちもできるだけ早く預金を引き出そうとする強いインセンティブを持つことになるのである。

過去の歴史を振り返ると、銀行システムは実際にも度々取付け騒ぎに見舞われている(詳しくは例えばCalomiris and Gorton(1991)を参照されたい)。銀行取付けの問題に対処するために20世紀初頭に入って各国の政府は預金保険制度を導入することになったが、その結果として銀行取付けが発生する可能性は大きく抑えられることになった。しかしながら、預金保険で預金が全額保護されていなかったり(預金の一部だけが保護の対象だったり)、預金保険制度が存在していないケースでは銀行取付けは依然として金融危機を彩る特徴の一つとなっている。例えば、過去20年の間に東アジアやラテンアメリカでは多くの銀行取付けが発生している。今回の危機の過程でもイギリスのノーザン・ロック銀行を対象として「教科書」通りの取付け騒ぎが発生し、大勢の預金者たちが預金の払い戻しを求めて店頭に殺到したことはご存知の通りである(Shin 2009)。銀行システムだけに限定せずに金融システム全体に目を向けると、(預金者が預金の払い戻しを求めて銀行に殺到する)伝統的な取付けの範疇には含まれないものの取付けと呼ぶにふさわしい現象は数多く発生している。今回の危機の過程では主に投資銀行が短期資金を調達するために利用するレポ市場でも取付けが発生しており(Gorton and Metrick 2012)、そのためにレポ市場では突如として流動性が枯渇し資金の調達が困難となったのであった。ベア・スターンズやリーマン・ブラザーズといった名だたる金融機関が経営危機に追いやられた理由もレポ市場における取付けにその原因があったのである。それ以外にもマネー・マーケット・ファンド(MMF)や資産担保コマーシャルペーパーを取り扱うマーケットでも取付けは発生しており(Schroth, Suarez, and Taylor 2012)、オープンエンド型投資信託を取り扱うマーケットは日常的に「協調の失敗」による脆弱性に晒されていると指摘する研究も存在している(Chen, Goldstein, and Jiang 2010)。

銀行危機をテーマとする研究領域においてとりわけ重要となる政策課題は金融システムを舞台とした「協調の失敗」とそれに起因する取付け騒ぎがもたらす被害をいかにして回避するかという点にあると言えるだろう。確かに預金保険はこれまでにそれなりの効果を上げてきたと評価できるが、預金保険はモラル・ハザードを引き起こす可能性を伴っており(欄外訳注2)、その点も真剣に考慮せねばならない。「最適な」預金保険制度の設計に向けて研究すべきことはまだまだ残されているのだ。比較的最近に入って発展を見せている経済理論として「グローバル・ゲーム」と呼ばれる一連のモデルがあるが(Carlsson and van Damme 1993, Morris and Shin 1998, Goldstein and Pauzner 2005)、このモデルを使えば預金保険の便益(銀行取付けを防ぐ効果)とコスト(モラル・ハザードを引き起こす可能性)を同時に分析することが可能となり、その結果「最適な」預金保険制度が備えるべき特徴について手掛かりが得られるようになるかもしれない。


信用取引に伴う摩擦と信用市場の凍結

銀行危機をテーマとする研究領域では銀行の預金者や銀行に対する貸し手の行動に焦点が置かれている。言い換えると、銀行のバランスシートの負債の側に焦点が合わせられているわけである。しかしながら、金融システムにおける問題は銀行のバランスシートのもう一方の側である資産の側に起因して発生することも珍しくない。信用市場(欄外訳注3)における均衡では銀行による貸出の量だけではなくその質も決定されることになり、信用取引に伴う摩擦のために銀行は悪質な借り手から自らを守るために貸出を渋る(ローンの供給を抑える)可能性があるのである。

信用市場において信用割当(credit rationing)(訳注;信用に対する需要(資金の借り入れ需要)が供給を上回る状態。信用市場において成立する金利が信用に対する需要と供給を等しくする水準を下回っている状態とも言える)が発生する可能性を理論的に明らかにしたのが1981年のスティグリッツ&ウェイス論文(Stiglitz and Weiss 1981)である。通常の経済理論の立場からすると、需要と供給の間にギャップが存在する場合はそれに応じて価格が変化し、最終的には(均衡においては)割当は解消されるはずである(訳注;信用に対する需要が供給を上回っている(信用割当が存在する)場合は需給が一致するところまで金利が上昇するはずだ、ということ)。しかしながら、銀行がローンを供給するにあたって金利(貸出金利)を変化させるとそれに伴ってローンの「質」(あるいは借り手の「質」)も変化する可能性があり、そのため信用市場では信用割当が存在していても金利が上昇せずにそのままの水準にとどまる可能性があるのだ。信用割当が発生する背後には信用取引に伴う2つの摩擦の存在が控えている。「モラル・ハザード」と「逆選択」である。1997年のホルムストローム&ティロール論文(Holmstrom and Tirole 1997)で定式化されたモデルが一大転機となり、その後この2つの摩擦(その中でもとりわけモラル・ハザード)が銀行の貸出(ローン供給)行動にどういった影響を及ぼすかを探る膨大な研究が量産されることになった。銀行ローンの借り手が銀行の監視の目を逃れて自分の好きなように(銀行から借り入れた)資金を流用することができるような状況では、資金の貸し手である銀行としてもそう易々とローンの貸出に応じるわけにはいかなくなる。銀行(貸し手)から借り手へと資金がスムーズに貸借されるためにはいかにして借り手に自分の好きなように資金を流用させないようにするか(どうやってそのようなインセンティブを持たせるか)が重要となってくるが、そのためには借り手はいわば「身銭を切る」(“skin in the game”)必要があり、借り手自身も「良質」のプロジェクト(ローンが返済される可能性が高い堅実なプロジェクト)の成功に伴って個人的に金銭的な利益を得られるように取り計らう必要があるのだ。信用取引に伴う摩擦のために信用(銀行ローン)の供給には制約が課される可能性があるわけだが、景気の悪化(経済状況の悪化)にあわせて信用取引に伴う摩擦の問題もその深刻さを増すことになれば信用の供給はなお一層抑えられる可能性がある。極端なケースでは信用の供給が途絶し、金融危機が招かれる恐れすらあるのだ。

今回の危機の過程でも信用取引に伴う摩擦が信用市場の機能不全を引き起こす要因となっていたことは疑いない。2008年に金融システムを突如として襲ったショックの後に信用市場においては信用のやり取りが凍結するに至った。また、インターバンク市場(銀行間取引市場)でも信用のやり取りは凍結するに至ったが、その理由は信用取引に伴う摩擦によって当初のショックが増幅されたためである可能性がある。

信用取引に伴う摩擦はマクロ経済全体の景気循環に一体どういった影響を及ぼすのだろうか? この問題の解明に向けて信用取引に伴う摩擦をマクロ経済モデルの中に組み込む試みがここにきて盛んになっている。そのような試みの先駆けとも言えるバーナンキ&ガートラー論文(Bernanke and Gertler 1989)や清滝&ムーア論文(Kiyotaki and Moore 1997)では、信用取引に伴う摩擦は当初のショックを増幅させ、当初のショックが消え去った後もその影響を持続させる役割を果たすことが明らかにされている。この線に沿ったつい最近の代表的な試みでは(Gertler and Kiyotaki 2010, Rampini and Viswanathan 2011)、マクロ経済モデルの中に金融仲介部門が明示的に組み込まれ、金融仲介部門とそれ以外の部門との間にどのような動学的な相互作用が見られるかが分析されている。金融仲介部門を組み込んだマクロ経済モデルが今後発展を見せることになれば、今回の危機の過程で各国の政府が採用した数々の政策について精緻で実りある議論を行い得る舞台が用意されることになるだろう。


通貨危機

金融危機に備わる重要な側面の一つとして政府の関与、とりわけ政府が採用している為替レジームの崩壊の問題も見逃してはならないだろう。1970年代初頭におけるブレトンウッズ体制の崩壊をはじめとして多くの通貨危機は政府が固定相場制度を維持しようと試みる中でそれ以外の政策目標との間に齟齬が生じる結果として引き起こされる傾向にある。固定相場制度の維持とそれ以外の政策目標との齟齬が積もり積もって為替レジームの突然の崩壊が引き起こされるわけである。通貨危機をテーマとする研究の出発点をどこに求めるかという問題については色々と意見があるだろうが、我々の展望論文ではクルーグマンらによる第一世代モデル(Krugman 1979, Flood and Garber 1984)とオブスフェルドによる第二世代モデル(Obstfeld 1994, 1996)をその出発点に定めている。

通貨危機に関する従来のモデルは現在ユーロ圏経済が置かれている状況を理解する上で非常に示唆に富むものである。通貨危機に関する従来のモデルの基礎にある考えは有名な「国際金融のトリレンマ」である。「国際金融のトリレンマ」によると、①国境を越えた資本の自由な移動、②独立した金融政策、③固定相場制度(あるいは為替レートの安定)という3つの政策目標のうちそれぞれの国が同時に追求できるのは2つだけであるとされる。ユーロ圏にある各国は①と③を同時に追求する道を選ぶことと引き換えに②をあきらめたわけだが、そのために(金融政策を自国の事情にあわせて自由に行使できないために)今回の金融危機の余波を吸収し、国債の価格を維持する上で限られた余地しか残されていない状況に追いやられる格好となってしまった。ユーロ圏の各国政府が固定相場を維持する意思や国債を償還する意思について疑いが持たれるようなことになれば、投資家や投機家が大挙してユーロや国債の投げ売りに乗り出し、その結果ユーロ圏経済が抱える問題はさらに深刻さを増す可能性がある。ユーロ圏にある各国は政府債務のデフォルトを宣言するか、あるいはユーロを放棄するか(あるいはどちらもともに選ばざるを得ないか)という重大な選択を迫られる可能性があるのだ。

通貨危機に関する従来のモデル(第一世代モデルと第二世代モデル)では政府の行動だけに焦点が合わせられているが、通貨危機に関するいわゆる第三世代モデル(Krugman 1999, Chang and Velasco 2001, Goldstein 2005)では従来の通貨危機のモデルの中に銀行危機と信用取引に伴う摩擦がともに組み込まれている。第三世代モデルが開発されることになったきっかけは1990年代後半に東アジアを襲った通貨危機にあるが、東アジアの通貨危機では金融機関の破綻と為替レジームの崩壊が同時に発生し、銀行危機と通貨危機との絡み合いを通じて経済全体が極めて脆弱な状態に晒される可能性をまざまざと知らしめることになったのであった。通貨危機に関する第三世代モデルも現在ユーロ圏経済が置かれている状況を理解する上で非常に示唆に富むものである。現在のユーロ圏では銀行危機と債務危機とが複雑に絡み合っており、ユーロ圏経済の行く末はその絡み合いがこの先どのような展開を見せるかにかなりの程度かかっているのである。


結論

今後の主要な研究課題はこれまでに触れてきた数々の「摩擦」――協調の失敗、インセンティブ問題、情報の非対称性、政府が採用する為替レジーム――をマクロ経済モデルの中に組み込み、そのモデルのキャリブレーションを行った上で最適なポリシーミックスや政策の望ましい規模について定量的な結論を導き出すことにあると言えるだろう。中央銀行が既存のモデルの代わりにそのような摩擦を組み込んだモデルを使い始めるようになれば願ったりである。マクロ経済モデルの中に信用取引に伴う摩擦を組み込む試みについては先程も触れたように徐々にその気運が盛り上がりを見せているが、それ以外の摩擦を組み込む試みについてはほとんど手がつけられていない状態である。数々の摩擦を組み込んだマクロ経済モデルの開発に向けて取り組むことが今後の重要な課題であると言えるだろう。

もう一点だけ触れておくと、システムの脆弱性や金融危機を引き起こす数ある要因の中からいずれか一つに焦点を定めてその影響を分析するモデルは数多いが、そういった数々の要因を同時にまとめて考慮に入れたモデルは今のところ(いくつかの例外はあるにせよ)著しく欠如していると言わざるを得ない。数ある要因をモデルの中に同時に含めることではじめてそれぞれの要因が結果に及ぼす影響の強さを比較できるようになるのであり、それぞれの要因が互いにどのように作用し合っているかを理解できるようになるのである。システムの脆弱性や金融危機を引き起こす数ある要因を同時に考慮に入れたモデルの開発に向けて取り組むこともまた今後の重要な課題であると言えるだろう。


<参考文献>

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●Calomiris, Charles, and Gary Gorton (1991), “The origins of banking panics: models, facts, and bank regulation”, in Glenn Hubbard (ed.) Financial Markets and Financial Crises, University of Chicago Press.
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●Diamond, Douglas W, and Philip H Dybvig (1983), “Bank runs, deposit insurance, and liquidity”, Journal of Political Economy 91, 401-419.
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●Rampini, Adriano, and S Viswanathan (2011), “Financial intermediary capital(pdf)”, Working Paper.
●Schroth, Enrique, G Suarez, and L Taylor (2012), “Dynamic debt runs and financial fragility: evidence from the 2007 ABCP crisis(pdf)”, Working paper.
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●Stiglitz, Joseph E, and Andrew Weiss (1981), “Credit rationing in markets with imperfect information”, The American Economic Review 71, 393-410.


(欄外訳注1) 仮に投資家が自ら「長期貸出」を行った場合、緊急に資金が必要となっても即座にその貸し出しを引き揚げることができず必要な資金を調達できない可能性がある。一方で、投資家が銀行に預金を預け、銀行がその預金を基にして「長期貸出」を行う場合、投資家は間接的に長期貸出を行っていると言えるが、仮に緊急に資金が必要となった場合には預金を引き出してそれに応じればよい。

(欄外訳注2) 預金保険によって預金の一部(あるいは全額)が保護されていると、仮に預金を預けている銀行が破綻したとしても預金の一部(あるいは全額)は手元に戻ってくるため、預金者は銀行の行動にそれほど注意を払わなくなる可能性がある。預金者による監視の目が緩むと銀行は貸出先の審査にあたって手を抜く可能性がある。

(欄外訳注3) 資金が貸し借りされる市場のこと。その例としては銀行ローン市場を挙げることができるが、銀行ローン市場では銀行が資金の供給者(貸し手)であり、銀行からお金を借り入れる主体が資金の需要者(借り手)ということになる。

Andrea Prat 「金融規制の政治経済学」

Andrea Prat, “A political economy view of financial regulation”(VOX, March 9, 2009)

現状の金融規制は数々の欠陥を抱えていることは間違いない。しかしながら、ルールが現状のままであっても規制当局は手持ちの情報を使ってもっと積極果敢で迅速な対応をとれたはずである。ルール自体がいかに優れたものであっても規制当局者(ルールを執行する立場にある人間)がそのルールを忠実に執行するインセンティブを持たなければ意味はない。金融規制の分野で「規制の虜」と呼ばれる現象が発生する可能性がどの程度のものかを評価し、その可能性を少しでも低く抑えるために、規制当局はこれまでに入手した情報だけではなく規制対象となる産業界との人的なつながりの実態についても公表すべきである。

今回の金融危機で大きな打撃を受けたのは金融市場だけにとどまらない。金融システムの動向を監視・監督する役割を果たす金融規制に対する国民の信頼も地に落ちることになったのだ。金融システムの安定性を確保するために金融規制の分野における現状のルールをどのように変えたらよいかという問題を巡って活発で示唆に富む議論が繰り広げられている最中だが、ここではちょっと視点を変えて政治経済学的な観点からこの問題に切り込んでみることにしよう。

今回金融危機に見舞われた多くの国における金融規制の体系は時代遅れどころか最先端というにふさわしい特徴を備えていた。しかしながら、規制が効果を上げるかどうかは(法律をはじめとした)ルールの質だけに依存するわけではなく、そのルールを執行する立場にある人間(規制当局者)のインセンティブにもかかっている。規制当局者が直面するインセンティブの中でもとりわけ重要となってくるのは規制当局が規制対象となる産業(民間企業)の虜となってしまう可能性(いわゆる「規制の虜」(regulatory capture)と呼ばれる現象(欄外訳注1)が発生する可能性)であり、この問題については長らくその重要性が指摘されてきているだけではなく公的規制をテーマとするテキストの中でも大きな関心が寄せられている(Laffont&Tirole 1993)(原注;ラフォンとティロールの共著であるこの本の第5部は「公的規制の政治学」(The Politics of Regulation)と題されており、本全体のおよそ3分の1の分量を占めている)。また、規制当局の独立性に疑問符が付く場合には好ましからぬ結果が招かれる可能性を示す実証的な証拠も数多い(Dal Bó 2006)。

金融規制の分野における現状のルールも完璧とは言えず改善の余地があることは疑いないだろう。しかしながら、規制当局者がルールを執行する上でどのようなインセンティブに直面しているかも同時に分析の対象に含めるべきなのだ。規制当局者がルールを忠実に執行するインセンティブを欠いていたり、ルールが目指す方向とは逆行する行動を選び取るよう促すインセンティブに晒されているような状況では、ルール自体がいかに優れたものであっても前途は暗いと言わざるを得ないだろう。

今回の金融危機の過程で規制当局が規制対象となる金融機関の虜となるような事態は果たして見られたのだろうか? この問題を考えるにあたって次の2つの質問を検討してみることにしよう。


規制当局は現状のルールと手持ちの情報をフルに活用したと言えるだろうか?

ルールが現状のままであっても規制当局は手持ちの情報を使ってもっと積極果敢で迅速な対応をとれたはずだというのが私の判断である。そのことを裏付ける典型的な例はバーナード・マドフ(Bernard Lawrence Madoff)が仕掛けた金融詐欺事件である。米国証券取引委員会(SEC)は詐欺の実態に関する情報を事前に得ていた。マドフが巨大なポンジ・スキームに手を染めている可能性については信頼できる情報源から密かに何度も繰り返しリークされていたのである。また、SECはこの問題に対処するための揺るぎない法的な権限も備えていた。証券詐欺規制法がそれである。それにもかかわらず、どうしてこんなにも大規模で古典的な手法を使った違法行為が見逃されることになったのだろうか?(原注;2003年に発生したいわゆるスタンフォード詐欺事件についても規制当局に対して事前に信頼できる情報源から情報がリークされていたことが判明している) それ以外にもポール・ムーア(Paul Moore)による内部告発の例もある。ムーアは当時イギリスの大手金融会社HBOSでリスク管理部門長を務めていたが、同社がリスクを過剰に取り過ぎていると内部告発を行ったのである(ムーアは内部告発を行った後に同社を解雇されることになった)。信頼できる情報源から警告が寄せられていたにもかかわらず、どうして英国金融サービス機構(FSA)(欄外訳注2)は重大な問題に発展しかねない事態に十分な真剣さを持って向き合わなかったのだろうか? HBOSはその後公的資金による救済を受けることになったわけだが、もし仮にFSAがムーアの内部告発を受けて即座に断固たる対応をとっていたとすればイギリスの納税者は何十億ポンドにも上る税負担をせずに済んでいた可能性がある。実際問題として規制当局には個別の金融機関の戦略を変更させるだけの権限はなかったという反論もあることだろう。しかしながら、FSAにしろSECにしろ手持ちの情報を基にして国民に対して警告を発することくらいは少なくとも可能だったはずである。自らと取引関係のある金融機関がどういったリスクをとっているかについて株主や貸し手、預金者たちに対してはっきりとした言葉で警告が発せられていたとしたら今頃どうなっていただろうか? これといって大差はないと言えるだろうか?


規制当局は「利益相反」の問題をどの程度抱えているだろうか?

いずれの公的機関も「独立性の確保」と「優秀な人材を確保する必要性」との間のトレードオフに直面しているが、とりわけ金融規制の分野は「利益相反」(conflict of interest)の問題に晒される高い可能性を秘めているようだ。例えば、FSAの現副長官(2009年当時)であるジェームズ・クロスビー卿(James Crosby)はかつてHBOS――内部告発を行ったポール・ムーアを解雇した会社――でCEOを務めていたが、2004年から2006年の時期にかけてはFSAの副長官とHBOSのCEOを兼務する状況にあったのである。言うなれば、規制される側の企業のトップが規制当局の挙動に監視の目を光らせていたようなものだ。競争政策をはじめとしたその他の分野でこれと同様の状況が考えられるだろうか? マイクロソフト社のCEOが(独占禁止政策を取り仕切る)米国連邦取引委員会(FTC)の委員に任命されるということがあり得るだろうか? 規制当局と規制対象となる企業との間に存在する人的なつながりの例はこれだけにとどまらない。FSAの非常勤委員8名のうち3名は現在(2009年現在)でも民間の金融機関で職に就いているようである(原注;その3名というのはピーター・フィッシャー(Peter Fisher)、デビッド・マイルズ(David Miles)、ヒュー・スティーブンソン(Hugh Stevenson)である。FSAのホームページにある略歴によると、フィッシャーはブラックロック、マイルズはモルガン・スタンレー、スティーブンソンはエクイタスならびにマーチャント・トラストでそれぞれ要職にあるとのことだ)。規制対象となる民間企業と人的な交流(つながり)を持つことは多少避けられない面もあるが、FSAの委員の席に規制対象となる企業のトップが居座る必要性が果たしてどれだけあるのだろうか?

金融規制というのはルールさえ用意すれば放っておいても自動的にその機能を発揮するような類のものではない。多くの国においては金融システムは非常に洗練されており、国民に対して多大な便益をもたらす可能性を大いに秘めている。優秀な弁護士や会計士といった人材も豊富であり、システムの運営を側面から支援する人的資源という面に照らしても文句なしである。しかしながら、金融システムがその潜在的な力を存分に発揮するためには能力が優れているだけではなくルールを忠実に執行するインセンティブを備えた規制当局者の存在が欠かせない。必要とあれば問題の所在を徹底的に追及し、規制対象となる金融業界に対して厳しい態度で臨むことも厭わない規制当局者の存在が欠かせないのだ。

今後の課題に目を転じることにしよう。規制当局者がルールを存分に活用する強いインセンティブを持つようにするためには具体的にどのような措置を講じたらよいだろうか?
  • 金融規制の分野で規制当局が規制対象となる金融機関の虜となる可能性がどの程度のものかを正確に評価するためにはまずもってこれまでの実状を知る必要がある。規制当局はこれまでにどのようなリーク情報を得たかを公開し、その情報に基づいて調査に乗り出した経緯がある場合はその調査結果もあわせて明らかにすべきである。例えば、FSAがHBOSだけではなくそれ以外の金融機関が抱えているリスクの実態についてどういった情報を得ていたか(あるいは知り得た状況にあったか)が明らかにされれば非常に有用な判断材料となることだろう。
  • 規制当局と規制対象となる企業の経営陣との間の人的なつながりの実態についても情報を明らかにすべきである。規制当局の委員を務める人物(および規制当局で働く官僚)が委員に任命される前、委員在任中、そしてその職を辞した後にそれぞれどのような地位にあったか(あるか)について情報を公開すべきである。その種の情報が明らかにされれば、規制対象となる企業との人的なつながりが果たしてルールの厳格な適用を妨げているかどうかを検討することが可能となるだろう。
  • 上記で公開された情報を精査し、その分析結果に照らして「利益相反」の問題に対処する策を講じる必要がある。その場合、現時点における産業界との人的なつながりだけではなく、将来における産業界との人的なつながり(いわゆる「天下り」問題)(訳注;規制当局で委員を務めた人物や規制当局で働く官僚がその職を辞した後に規制対象となっている企業に天下ることを認めてもいいかどうか)も検討の対象となることだろう。その対策の具体的な内容が固まった暁には国民に向けて大々的に公表し、規制当局は社会全体の利益を何よりも優先する旨を確約すべきである。
成果主義(成果に基づく報酬の支払い)というアイデアは最近はあまり受けがよくないようだが、規制当局者にルールを忠実に執行するインセンティブを持たせる手段の一つとして金融システムの健全性がどの程度保たれているかに応じて規制当局者に支払う報酬の額を決める(訳注;そうすることで金融システムの健全性を保つことが規制当局者自身の利益(自己利益)ともなるように仕向ける)という大胆な可能性を探ってみるべきであろう。そのためには金融システムの健全性(あるいはその反対に脆弱性)をできるだけ正確に測る指標を作成する必要があるが、仮にそのような指標が作成できた暁には規制当局者に支払う報酬の額をその指標に照らして決める(その指標の変動に応じて報酬の額を上下させる)という一種の成果主義的な報酬制度を導入する道が開かれることになる。仮にそのような報酬制度が実際にも導入される運びとなったら、規制当局者は(実際のところは自己利益に従って行動しているものの結果的に)社会全体の利益を優先しているかのように振る舞うよう促される可能性があるのだ。


<参考文献>

●Jean-Jacques Laffont and Jean Tirole (1993), A Theory of Incentives in Procurement and Regulation, MIT Press.
●Ernesto Dal Bó (2006), “Regulatory Capture: A Review,” Oxford Review of Economic Policy, 22(2): 203-225.


(欄外訳注1) 規制対象となる企業が規制当局に対して政治的な働きかけを行う結果として規制の内容が社会全体の利益よりも規制対象となる企業の側の利益を優先するような方向に歪められたり、規制の適用にあたって手心が加えられたりすること

(欄外訳注2) FSAは2013年4月に解体され、その権限は金融行為監督機構(FCA)とイングランド銀行内に設置された金融安定政策委員会(FPC)およびプルーデンス規制機構(PRA)の3つの機関に委譲されている。詳しくは例えば次の論文を参照のこと。 ●小林襄治, “英国の新金融監督体制とマクロプルーデンス政策手段(pdf)”(証券経済研究, 第82号(2013 . 6))

2014年10月7日火曜日

Jordi Galí 「タブーへの挑戦 ~財政ファイナンスの効果を探る~」

Jordi Galí, “Thinking the unthinkable: The effects of a money-financed fiscal stimulus”(VOX, October 3, 2014)

今般の経済危機の過程では各国の中央銀行によって数多くの非伝統的な金融政策が採用されることになったが、各国は未だ景気低迷から抜け出せずにいる。本論説では、政府支出の一時的な拡大の財源を貨幣の発行で賄う政策(「財政ファイナンス」)の効果について論じる。現実に近いモデルの枠内で財政ファイナンスの効果を評価すると、財政ファイナンスは生産と雇用を大きく刺激し、インフレを若干上昇させるとの予測結果が得られることになる。

「財政ファイナンスは経済論議の中でタブーの一つと見なされるまでになっている。有害な政策と断じられているばかりではない。提案することはおろか、考えてすらいけないものと見なされているのだ」-アデール・ターナー卿(2013)


今般の経済・金融危機は伝統的なマクロ安定化政策(あるいは反循環的な政策)が抱える限界を知らしめることになった。経済活動の落ち込みを受けて各国の金融当局と財政当局はそれぞれ金利の急速な引き下げと構造的財政赤字の大幅な拡大に乗り出したが、景気の回復を待たずして打つ手が無くなる事態に追い込まれることになった。経済危機を迎えてから比較的早い段階で政策金利はゼロ下限制約に達することになり、(大幅な構造的財政赤字に乗り出した結果として)政府債務残高の対GDP比がかなり高い水準にまで上昇を続けた関係もあって各国の政府は財政再建を強いられることになった――多くの国ではまだその途上にある――のである(財政再建は景気回復を遅らせ、経済にさらなる痛みを加える格好となった可能性がある)。それに加えて、主要な中央銀行は非伝統な金融政策にも踏み出すことになったわけだが、そのような一連の政策は金融システムに安定を取り戻し、銀行部門の収益の改善を後押しする上ではそれなりの役割を果たした可能性はあるものの、特に今回の金融危機で最も大きな痛手を受けたいくつかの国においては総需要を十分に刺激するには至らず、生産と雇用をぞれぞれ潜在的な水準(潜在GDPや自然失業率)にまで引き戻すことはできなかったのである。

名目金利の引き下げも国債の発行も伴わずして経済を刺激し得るような政策について真剣に検討すべき時が来ている。というのも、これ以上名目金利を引き下げることは不可能であり、(政府債務残高の対GDP比が歴史上稀に見るほど高い水準に達しているばかりか、なおも上昇する勢いにある事実を踏まえると)政府債務残高をこれ以上増やすことは望ましくないからである。また、政府支出の拡大にあわせて税金を引き上げる(政府支出の財源を捻出するために増税する)というのも魅力ある選択肢とは言えない。多くの国では税率は既に高い水準にあるだけでなく、税金の引き上げは自滅的な結果をもたらす(訳注;税金の引き上げが政府支出の効果を打ち消す)可能性があるからだ。さらには、労働コストの削減や構造改革に力点を置いた提案に対してはここにきて疑問視する声が上がっている。労働コストの削減や構造改革が生産の拡大に結び付くかどうかはそれと同時に金融緩和が伴うかどうかにかかっているとの反論が寄せられているのだ(原注;例えば次の論文を参照のこと。Eggertsson et al.(2013), Galí (2013), Galí and Monacelli(2014))――そして金融緩和の余地はもう無いときているのである――。


財政ファイナンス(Money-financed fiscal stimulus)

つい最近の論文で私は経済を刺激し得るような政策の候補の一つに検討を加えている(Galí 2014)。その候補というのは、政府支出を一時的に拡大するための財源を貨幣の発行で賄うというもの(以下、「財政ファイナンス」)である。冒頭で引用したターナー卿の言葉にあるように、財政ファイナンスは政策当局者の世界では「口にするのも憚られる」一種の「タブー」と見なされている。しかしながら、研究者はそのようなタブーに縛られるべきではないだろう。社会的に広く共有されている目標(例. 完全雇用と物価安定)の達成を促す可能性があればいかなる政策であれその帰結を探ってみる必要があり、その過程で明らかになった発見は包み隠さず(必要な注意書きも忘れず添えた上で)公にしなければならない。それが我々研究者の責任なのだ。

私の研究を通じて得られた中心的なメッセージは次の通りである。

  • 財政ファイナンスが生産やインフレに及ぼす影響はモデルの種類(どのようなモデルを選ぶか)に大きく依存する

「理想的な」古典派モデル――あらゆる市場で完全競争が行われており、名目賃金を含むあらゆる名目価格が完全に伸縮的であるような貨幣経済のモデル――の枠内では財政ファイナンスが生産や雇用を刺激する効果はごく限られたものであり、一方で(財政ファイナンスの結果として)インフレは即座に大幅な上昇を見せることになる。また、民間の消費は減少することになる。望ましい効果もあるにはある。財政ファイナンスは即座に大幅なインフレをもたらすことになるが、その結果として(債務の実質的な価値が低下することで)政府債務残高の対GDP比が縮小するのである。 財政ファイナンスが引き起こす結果をすべて考慮すると、 「理想的な」古典派モデルの枠内では財政ファイナンスは到底お勧めできない政策ということになるだろう(原注;「理想的な」古典派モデルでは、財政ファイナンスは家計の効用を確実に低下させることになる)。個人的な推測だが、財政ファイナンスをタブー視する態度の背後にはこのような「古典派」的な発想が控えているのではないだろうか。

しかしながら、以上の議論は必ずしも正しいものとは言い切れないかもしれない。論文の中でも詳しく論じていることだが、「理想的な」古典派モデルから離れてもう少し現実に近いモデル――市場では不完全競争が行われており、名目賃金や名目価格が粘着的であるような貨幣経済のモデル――の枠内で財政ファイナンスの効果を評価すると、その結果は「理想的な」古典派モデルの枠内で得られる結果とは大きく違ってくるのである。

  • (現実に近いモデルの枠内では)財政ファイナンスは複数年にわたって実体経済活動を大きく上向かせることになる。それに伴ってインフレも上昇することになるが、比較的穏やかな水準にとどまることなる。

実体経済活動が大きく刺激される理由は予想インフレ率の上昇によって実質金利がしばらくの期間にわたって低く抑えられ、その結果として民間消費と投資が刺激されるためである。

  • 政府債務残高の対GDP比は時とともに縮小していく。その主たる理由は実質金利がしばらくの期間にわたって低く抑えられるためである。
  • 当初の生産量が効率的な水準を十分大きく下回っている場合は、財政ファイナンスを通じて実施される政府支出がまったく無駄な対象に費やされたとしても経済厚生は改善されることになる。

政府支出の対象が生産性の向上につながるような公共投資に向けられる場合には財政ファイナンスが経済厚生を改善する効果はもっと大きくなることだろう。

現実に近いモデルから得られる以上のような予測結果は量的緩和をはじめとした非伝統的な金融政策のこれまでの経験とは大きな対照をなしている。非伝統的な金融政策は総需要に直接的に影響を及ぼすものではないが、そのためにこれまでのところ多くの国々――特にユーロ圏経済――を低迷から救い出すことができずにいるのだ(訳注;一方で、財政ファイナンスは総需要に直接的に影響を及ぼすことになる。というのも、政府支出の拡大が伴うためである)。財政ファイナンスはユーロ圏のような通貨同盟向けの政策としての利点も備えている。財政ファイナンスでは政府支出の拡大が伴うわけだが、高失業や低インフレ(あるいは長引くデフレのリスク)に悩まされている地域を選定した上でその地に政府支出を集中させるという方法も採り得るのである。

特にユーロ圏経済に言えることだが、古色蒼然とした偏見から脱却し、これまでに試されてきたどの方法よりもずっと確実に総需要を刺激し得る方法を試すべき緊急の必要性に迫られている事実に向き合う時が来ているのかもしれない。財政ファイナンスを選択肢の一つとして真剣に考慮すべき時が来ているのだ。


<参考文献>

●Eggertsson, G, A Ferrero, and A Raffo (2013), “Can Structural Reforms Help Europe?(pdf)”, Brown University, mimeo
●Galí, J (2013), “Notes for a New Guide to Keynes (I): Wages, Aggregate Demand and Employment”, Journal of the European Economic Association, 11(5), 973-1003.
●Galí, J and T Monacelli (2014), “Understanding the Gains from Wage Flexibility: The Exchange Rate Connection”, CREI working paper.
●Galí, J (2014), “The Effects of a Money-Financed Fiscal Stimulus”, CEPR Discussion Paper 10165, September.