2010年11月2日火曜日

Krugman and Obstfeld 「流動性の罠から抜け出すための一方策~スヴェンソンのFoolproof Way~(2)」


Paul Krugman and Maurice Obstfeld, “Fixing the Exchange Rate to Escape from a Liquidity Trap(pdf)”(in 『International Economics: Theory and Policy(8th)』, Ch.17, Online Appendix A(1)と(2)を一つにまとめたものをScribdにアップしておきます)

Figure 1 は、経済が流動性の罠に陥る可能性を考慮した場合にAA-DD図(訳注1)がどのように修正されることになるかを示したものである。DD曲線は先の章と同様の形状をとるが、AA曲線はAA1曲線のように低水準の生産量の範囲において水平な形状をとることになる。AA曲線の水平部分は、生産量が極めて低水準であることを反映して(それに伴い生産量=所得の増加関数である貨幣需要も小さくなる;訳者注)、貨幣市場の均衡をもたらす利子率がゼロ%(R=0)となる事実を表している。また、AA曲線の水平部分は、名目為替レートが Ee /(1 - R*)以上の水準に上昇し得ない(減価し得ない)ことも示している。 図にあるように、均衡点1においては、生産量は完全雇用を実現する生産量(Yf)以下の水準 Y1 にとどまることになる。


次に、この物珍しいゼロ金利の世界において買いオペを通じたマネーサプライの増加がどのような効果を持つことになるかを見てみることにしよう。Figure 1 ではマネーサプライ増加の効果について詳しく跡付けることはしていないが、マネーサプライを増加させればAA曲線が右方にシフトすることになるだろう。マネーサプライの増加によってAA曲線が右方にシフトするのは、任意に与えられた名目為替レートの下で(名目為替レートが一定の水準にある場合は名目利子率R も一定の水準にとどまることになる)、再び貨幣市場において均衡がもたらされるためには(マネーサプライの増加による貨幣の超過供給を埋め合わせるに十分なだけ)生産量(所得)Yが増加して貨幣需要が増加する必要があるからである。マネーサプライが増加する結果として、AA曲線の水平部分は右方に向けて長く伸びることになるだろう。AA曲線の水平部分が右方に長く伸びるということは、名目利子率がプラスの水準に復するまでに(そしてAA曲線の右下がり部分に沿って名目為替レートが増価するまでに)生産量ならびに(生産量の増加関数である)貨幣需要が増加する余地がこれまで以上に広がることを意味する。マネーサプライの増加がもたらす驚くべき結果は、経済は点1にとどまったまま動かないということである。金融緩和は生産量に対しても為替レートに対しても何の影響も及ぼさないわけであり、こういう意味で経済は罠に嵌ってしまった、ということになるわけである。

流動性の罠に関するここまでの議論においてキーとなる要素は、将来の期待名目為替レート(Ee)は不変であるという先に置いた仮定である。ここで、中央銀行がマネーサプライを永続的に(permanently)増加させることを信頼のおけるかたちで約束できるとしよう。この約束が信頼されれば、現時点におけるマネーサプライの増加とともに Ee が上昇することになる。 Ee の上昇を実現する信認のある永続的なマネーサプライの増加はAA曲線を右上方向へシフトさせることになり、その結果として生産量が増加するとともに名目為替レートが減価することになるだろう。しかしながら、これまで日本経済を観察してきた人々は、日本銀行の審議委員らは-1930年代初頭のセントラルバンカーの多くと同じように-為替の減価とインフレーションとを非常に恐れており、そのため日本銀行が永続的に為替を減価させると約束してもマーケットがその約束を信用することはないだろう、と主張してきた。そうだとすれば、マーケットは日銀が後になって為替を増価させようとする意図を持っているのではないかと疑うことになり、そのためいかなる金融緩和も一時的なものとみなされることになるであろう(原注1)。

ラルス・スヴェンソン(Lars E. O. Svensson)プリンストン大学教授は、日本経済のジャンプスタートを可能とするもっと確実な方法を提案している。彼は、マーケットの(将来の名目為替レートに関する)期待に対してもっと直接的なかたちで働きかけるための方法として、名目為替レートを現在マーケットで成立している水準よりも割安な(減価した)水準で固定させたらどうか、と提案している。このスヴェンソン提案の簡略化バージョンを図にしたものが Figure 2 である(原注2)。図に示されているように、名目為替レートを減価させた上で永続的に E0 の水準に固定すればAA曲線が AA1 から AA2 にシフトすることになり、その結果経済は即座に新たな均衡である点2―完全雇用を実現する生産水準―に向けて移動することになる。図によれば、均衡点2 は新たなAA曲線の右下がり部分に位置しているが、このことは点1から点2への移動に伴って名目利子率 R が上昇することを意味している。しかしながら、為替の減価によって世界の需要が日本製品に振り向けられることで結果として生産量は拡大することになる。新たな均衡において名目利子率が上昇するにもかかわらず、この政策は(為替の減価による純輸出の増加を通じて;訳者注)景気拡張的な効果を持つことになるわけである(原注3)。

果たして日本においてこの政策提案が実際に採用される見込みはあるだろうか? この政策が採用されない場合に待っている事態は、(スヴェンソン提案他によって実現する名目為替レートの減価と同等の程度の)実質為替レートの減価をもたらすことになる長期にわたるデフレーションということになるであろう。日本が抱える問題は経済的な問題であると同時に政治的な問題でもあるように見受けられる。そういうわけで、日本経済が、どのようなかたちで、そしていつの時点で、現下の流動性の罠から抜け出すことになるかを予測することは困難である。

<注>

(原注1) このような見解は以下の論文で述べられている。Paul R. Krugman, “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap(pdf)”(邦訳(山形浩生氏訳)はこちら(pdf)), Brookings Papers on Economic Activity 2: 1998, pp. 137-205.  また、以下の論文も参照せよ。Ronald McKinnon and Kenichi Ohno, “The Foreign Exchange Origins of Japan’s Economic Slump and Low Interest Liquidity Trap”(ワーキングペーパー版はこちら), World Economy 24 (March 2001), pp. 279-315.

(原注2) もっと詳しい説明については、スヴェンソンの以下の論文を参照せよ。 Lars E. O. Svensson, “Escaping from a Liquidity Trap and Deflation: The Foolproof Way and Others”, Journal of Economic Perspectives 17 (Fall 2003), pp. 145-166.

(原注3) 一般的には、通貨切り下げはマネーサプライの変化を伴うことになるだろう。為替レートが特定の水準に固定されるようになれば、マネーサプライの水準は(固定の為替レートが維持されるように)内生的に決定されることになるだろう。Figure 2 では政策の結果として名目利子率と生産量とが同時に上昇することになるので、新たな均衡点2においてマネーサプライが増加することになるのか減少することになるのかは一概には判断できない。マネーサプライが増加する場合には、AA曲線の水平部分の範囲が拡張することになり、マネーサプライが減少する場合にはAA曲線の水平部分の範囲が狭まることになる。

(訳注1) AA-DD図については、本書第3版の邦訳である『国際経済-理論と政策-〈2〉国際マクロ経済学』や第5版の邦訳である『国際経済学』でも説明がなされているので詳しくはそちらを参照のこと。
必要な範囲でAA-DD図について簡単に説明しておくと、AA-DD図は短期における財(生産物)市場と資産市場との同時均衡を描写したものであり、DD曲線は財市場に均衡がもたらされるような名目為替レートと生産量との組み合わせを、AA曲線は外国為替市場を含んだ資産市場に均衡がもたらされるような名目為替レートと生産量との組み合わせを、それぞれプロットしたものである。 DD曲線が右上がりである理由は、名目為替レートが減価することで総需要を構成する純輸出が増加し、それ(総需要の増加)に合わせて生産量が増加するからである(E↑→Y↑)。また、(通常の)AA曲線が右下がりである理由は、生産量(所得)Yの増加(Y↑)→貨幣需要の増加→(貨幣に対する超過需要の発生によって)名目利子率の上昇(→貨幣市場における均衡の回復)→(Ee、R*が所与の下での金利平価条件より)名目為替レートの増価(E↓)、となるからである(Y↑→E↓)。

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