2011年11月18日金曜日

Todd Keister 「なぜ名目金利には「ゼロ下限制約」が存在するのだろうか?」

Todd Keister, "Why Is There a “Zero Lower Bound” on Interest Rates?"(Liberty Street Economics, November 16, 2011)


「名目金利には「ゼロ下限制約」("zero lower bound")が存在する」と経済学者が発言しているのを耳にしたことがある人もおそらくいることだろう。「名目金利には「ゼロ下限制約」が存在する」というのは、言い換えれば、名目金利がゼロ%以下の水準に低下することはありそうもない、ということである。確かにいくつかの市場金利が現実にマイナスを記録したエピソードを―遠い過去からだけではなく、つい最近からも―見つけ出すことはできるものの、市場金利がマイナスを記録した事例というのは非常に限られている。このエントリーで私は次の2点を説明しようと思う。第1に「なぜ原則的には名目金利はマイナスになり得るのか?」、第2に「それにもかかわらず、なぜ名目金利が実際にマイナスを記録することは稀であるのか?」を説明しようと思うのである。金融市場は一般的にプラスの名目金利の下で機能するようデザインされており、それゆえ、もし名目金利がマイナスになったとすれば金融市場に重大な混乱が生じることになるかもしれない。政策当局者は、非伝統的なツールを用いて金融緩和に乗り出そうとする時でさえも、名目金利がマイナスになることで生じるかもしれない金融市場の混乱を避けようとして短期金利をゼロ%以上の水準に保とうとする傾向がある。政策当局者によるこの政策選択こそが「ゼロ下限制約」が存在する原因となっているのである。

「ゼロ下限制約」の存在についてのお決まりのお話は、現金の名目金利(現金を保有することから得られる名目金利)は常にゼロ%である、との観察からはじめられる。1ドル紙幣を手元に保有し続けていれば、明日も1ドルは1ドルのままであり、1週間後も1年後も変わらず1ドルは1ドルのままである。一方で、1ドルを貯蓄に回してその時の名目金利(年率)がマイナス2%であったとすれば、今日貯蓄した1ドルのうち1年後に手元に戻ってくるのはわずか98セントだけである。現金をそのまま手元に保有しておくという選択肢は万人に開かれているわけだから、名目金利がマイナスであるような資産に現金をすすんで投資しようと考える人は誰一人としていないことだろう。

しかしながら、このお決まりのお話はまだ途中であってここでおしまいというわけではない。大量の現金を(盗難されないように)自ら管理・監視したり、金額の大きい取引を現金だけを用いて行うことは、コスト(あるいは手間)のかかる行いである。一方で、現金を当座預金口座(checking account)に預けることで得られる安全性や便利さは、現金だけを用いて取引する―家賃や住宅ローン、公共料金を支払う等―ことに伴うリスクや苦労を想像すればよく理解できることだろう。現金を預金として預け入れることで享受できるその安全性や便利さを思えば、預金金利がマイナスであったり、あるいは預金口座の管理費を課せられたりしたとしても―管理費を課せられるということは実質的には名目(預金)金利がマイナスであることと同じである―、それでも多くの人々は喜んで現金を預金口座に預けることだろう。

大規模な機関投資家に関しても事情は同じである。機関投資家らは、個人が預金口座に現金を預け入れるのとまったく同じように、「レポ」(買い戻し条件付きの債券取引)市場で資金を貸し付けたり、財務省短期証券(Treasury bills;Tビル)を購入したりするなど多様な方法で短期投資を行っている。現金と比較してこういった短期投資がもたらす安全性や便利さのことを思えば、大規模な投資家にとっては金利(レポ金利やTビルの利回り等)がマイナスであったとしても依然としてレポやTビル等といった対象は魅力的な投資先であり続けることだろう。実際にもいくつかのレポ金利は2003年中(この点についてはニューヨーク連銀によるこの調査(pdf)を参照せよ)やつい最近も(この点についてはブルームバーグ参照)マイナスを記録したことがあるし、Tビルの流通市場(secondary market)でもつい最近利回りがわずかではあるもののマイナスを記録している(この点についてはビジネスウィーク参照)。

言い換えれば、市場(名目)金利は、多くの人々が大挙して現金を退蔵しようとする動きを引き起こすことなく、ある程度であればゼロ%以下の水準になり得るわけである。にもかからわず、(大規模資産購入(LSAP)のような)非伝統的なツールを用いて金融緩和に臨む時でさえ、中央銀行は一般的には短期金利をプラスの水準に保とうと試みることになる。

例えば、現在FRBは民間の銀行がFRBの口座に預け入れている準備預金に対して0.25%の金利(IOR)を支払っている。プラスの準備預金金利が支払われるために、民間の銀行は(インターバンク市場やレポ市場といった)各種市場を通じて資金を借り入れるインセンティブを持つことになり(訳注;借り入れた資金を準備預金として預け入れれば準備預金金利の支払いを受けられるため)、その結果として(訳注;資金の借入需要がある程度保たれるために)大抵の期間を通じて市場金利はプラスの水準に保たれることになると期待される。9月に開催された連邦公開市場委員会(FOMC)では準備預金金利を引き下げるべきかどうかを巡って議論がなされたが、実際に準備預金金利が引き下げられることはなかった。準備預金金利を引き下げれば短期市場金利には下押し圧力がかかり、場合によっては短期金利がゼロ%以下の水準にまで低下することもあり得るかもしれないが、当時の会合の議事録には次のような記載が見られる。「多くの参加者は、準備預金金利を引き下げることでマネー・マーケット(短期金融市場)や信用仲介に対してコストのかかる混乱がもたらされる危険性があり、その(混乱の)効果がどれほどの規模のものになるかは予測困難である、との懸念を表明した。」(“many participants voiced concerns that reducing the IOR rate risked costly disruptions to money markets and to the intermediation of credit, and that the magnitude of such effects would be difficult to predict.”)

同様にイングランド銀行の金融政策委員会(MPC)でも9月に開催された会合(pdf)で政策金利(official Bank Rate)を0.5%以下の水準にまで引き下げるべきかどうかを巡って議論されたが、結局のところは政策金利が0.5%以下の水準にまで引き下げられることはなかった。かつてイングランド銀行の金融政策委員会の場(pdf)では「金利が極めて低い水準に保たれる状況が長引くことになればマネー・マーケットの機能が阻害されることになるだろう」(“a sustained period of very low interest rates would impair the functioning of money markets.”)との懸念が表明されている。

アメリカの金融市場において(名目金利がマイナスになることで)生じ得る混乱の例を以下にいくつか挙げることにしよう。
〇マネー・マーケット・ミューチュアル・ファンド(MMMF): マネー・マーケット・ファンドは投資家に対してマイナスの金利を支払う-直接的にマイナス金利を課すか、あるいは取引に手数料を課すことを通じて間接的にマイナス金利を課すか-ことが困難であるようなルールの下で機能している。MMF市場で金利(MMF利回り)がゼロ%近辺あるいはマイナスになったとすれば、おそらく取引の多くが停止されることになり、その結果借り手に対する信用の供与に混乱が生じる可能性がある。

〇国債の入札:現在のところ、アメリカの新発(新規に発行される)国債の入札では、入札参加者がマイナス金利での応札を行うことは認められていない。もし市場金利(国債の流通利回り)がマイナスになれば、新発国債はゼロ金利で発行される-その時の市場価格以下の価格で発行される-ことになり、もしその時需要(応札)が供給(発行予定額)を上回ることになれば応札に対する割り当て(rationing)が生じることになるだろう。そのような割り当て-つい最近の入札でも生じることになった(pdf)が-の発生は、入札参加者に対して、実際に自らが望む以上の金額で応札するインセンティブをもたらすことになり(訳注;割り当ての可能性を考慮して、つまりは、自らの応札が完全には満たされない可能性を考慮して、多めに応札しておこうと考えるため)、結果的にさらなる割り当てを生じさせることになってしまうだろう。入札ごとにどの程度の割り当てが生じるかが予測できなければ、投資家の中には望み以上のあるいは望み以下の債券を保有する者も現れることになり、そのためマーケットのボラティリティが高まることになってしまうだろう。

〇フェデラル・ファンド市場:準備預金金利が引き下げられることになればフェデラル・ファンド市場-民間銀行やその他の機関がオーバーナイト(翌日物)の資金を貸し借りする市場-にも影響が生じることだろう。準備預金金利が低下すれば、民間の銀行がフェデラル・ファンド市場で資金を借り入れるインセンティブが低下することになり、その結果フェデラル・ファンド市場での取引は減少することになるだろう。フェデラル・ファンド市場での取引が減少することになれば、市場金利(FF金利)は特殊な要因(idiosyncratic factors)に影響されがちとなり、それゆえFF金利は足許の市場の状況(訳注;資金調達の条件が緩和的か引き締め的か)を示す指標としてはそれほど信頼の置けるものではなくなってしまう(足許の市場の状況を示す指標としての信頼性が低下することになる)だろう。こうしてFF金利と足許の市場の状況との結びつきが弱まることになれば、FOMCが決定する金融政策はその大部分がFF金利に対するターゲットを設定するというかたちをとっているために、FOMCはマーケットとの間で(政策意図を巡って)コミュニケーションを図る上で困難を抱えることになってしまうかもしれない。

以上の例は、金融市場の既存の制度的枠組みの多くは金利がゼロ%近辺あるいはマイナスになることを想定した上でデザインされてはいないことを示している。原則としては、こういった制度的枠組み-ミューチュアル・ファンド市場や国債の入札制度等を律するルール-を変更することは可能である。例えば、2009年に国債取引の決済(settlement)に対してフェイルチャージ("fails charge")慣行が導入されることになったが(この点についてはニューヨーク連銀によるこの調査(pdf)を参照せよ)、この慣行は金利が極めて低い水準の下であっても市場がうまく機能することを可能にする制度変更の一つの例である(2012年2月にモーゲージ関連の市場でもフェイルチャージの導入が予定(pdf)されている)。しかしながら、実際のところは、そういった制度変更を実現するにはかなりの時間を要する可能性があり、また、万一ある市場において(マイナス金利下でも機能するような方向に)制度変更がなされたとしても単に混乱が発生する場所が別の市場に移るだけということになるかもしれない。

金利が極めて低い水準の下での取引は限られた経験であるために、ゼロ%近辺あるいはマイナスの金利に対して金融市場がどういった反応を見せることになりそうかをそれなりの確度をもって予測することは困難である。もし先に触れたいくつかの混乱が重大なものであると判明すれば、短期金利をさらに引き下げることは資金調達の条件を緩和するのではなくむしろ引き締める効果を持つことになるかもしれず、それゆえ反対に景気回復の妨げとなってしまう可能性がある。そのような結果を避けるために、政策当局者は市場金利をプラスの水準に保つように政策を選択する傾向にある。言い換えれば、マイナスの名目金利が金融市場に混乱を招いてしまう可能性があるために、政策当局者が名目金利の引き下げを通じて経済活動を刺激し得る能力(程度)に制限が課されることになっているわけである。この制限こそが名目金利に「ゼロ下限制約」が存在する原因となっているのである。

おことわり
本ブログで表明される見解はあくまでも著者の個人的な立場からなされるものであり、著者がニューヨーク連銀あるいは連邦準備制度内で占める地位を必ずしも反映するものではない。なお、文中における誤りや脱漏の責任はすべて著者本人にある。

2011年11月4日金曜日

Douglas Irwin 「1937-38年の景気停滞をもたらした原因は何か?」

Douglas Irwin, "What caused the recession of 1937-38?"(VOX, September 11, 2011) 

この度の金融危機が1929年-1932年の大恐慌(the Great Depression)を再演するような事態へとつながらずに済んだのは政策当局による迅速な政策対応のおかげであった。しかしながら、果たして我々は1937-38年の再演を回避することはできるだろうか? 世界経済の足取りが再び鈍化する様子を見せているそんな中にあって、本論説は新たな切迫感を持って「1937-38年の景気停滞をもたらした原因は何か?」という質問に取り組み、1937-38年の景気停滞の原因としてしばしば見過ごされがちな政策決定、つまりは1936年12月にアメリカ財務省が行った決定-金の流入をすべて不胎化する決定-について説明する。

1937-38年の景気停滞は時に「大恐慌下における景気停滞」(“the recession within the Depression”)と呼ばれることがある。1937-38年の景気停滞が到来したのは、大恐慌からの回復が未だ不完全で失業率が依然として非常に高い水準にとどまっていたそんな時期のことであった。1937-38年の景気停滞はそれまで景気回復基調にあった経済に対して破滅的なほどの規模で冷や水を浴びせることとなった。1937-38年の景気停滞下において、実質GDPは11%ポイント低下し、鉱工業生産は32%ポイント低下することとなったのである。1937-38年の景気停滞は20世紀中にアメリカが経験した景気停滞のうちで(1929-32年、1920-21年に次ぐ)3番目に深刻な停滞であった。

この1937-38年の景気停滞の原因としてしばしば指摘されるのが財政・金融政策の引き締めである。クリスティーナ・ローマー(Romer 2009)をはじめとした幾人かの論者は、1937-38年の景気停滞は経済の状況が依然として弱々しい中にあって早まったかたちで景気刺激策から手を引くことの危険性を例証するものであり、まさに今現在の状況にとっても大きな関連を持つ歴史である、と述べている。

しかしながら、1937-38年の景気停滞をめぐってはちょっとしたミステリーが存在する。景気停滞の原因としてもっとも頻繁に指摘される2つの政策決定―財政赤字の縮小ならびに預金準備率をそれ以前の2倍の水準に引き上げたFRBの決定-は、実際に観察された規模の生産量の落ち込みをもたらすほどには強力なものではなかったように見えるのである。例えば、クリスティーナ・ローマー(Romer 1992)自身も述べているように、生産量の落ち込みの多くの原因を財政政策の変化に求めるのは「非常に困難だろう」(原注;E. Cary Brownによる有名な論文では(Brown 1956)、財政政策の変化によっては実際の生産量の落ち込みのうち4分の1以下しか説明できないことが見出されている。)。また、預金準備率をそれまでの2倍の水準に引き上げたFedの決定を対象とした研究の大半-もっとも最近の研究としてはCalomiris et al (2011)を参照せよ-では、預金準備率の引き上げは民間の銀行に対してそれほどのインパクトを持たなかった、と結論付けられている。当時民間の銀行は大量の超過準備を抱えており、そのために預金準備率の引き上げ後に準備預金を積み上げるようとする動きが見られることはなかったのである。

財政政策の引き締めと預金準備率の引き上げとによっては完全には1937-38年の景気停滞を説明することができないとなると、一体他に何がそれを説明できるのだろうか? この間に深刻な金融ショック(monetary shock)が生じたことは疑いがない。図1に示されているように、1934年から1936年にかけてはマネーサプライ(M2)の成長率は年率およそ12%でコンスタントに増加していたが、1937年初頭に入ると突然その成長がストップし、その年の後半にはその成長率はマイナスにさえなっているのである。しかしながら、この金融ショックは預金準備率を引き上げたFedの決定に起因するものではなく、しばしば見過ごされがちな財務省による1936年12月の決定-金の流入をすべて不胎化する決定-にその原因があったのである。

        図1  アメリカにおけるマネーサプライ(M2);1934年―39年



1934年1月にドルと金とが金1オンス=35ドルの交換レートで再ペッグされたことでアメリカは実質的に金本位制に復帰することとなった。マネタリーベースの85%相当分の金準備が保有されることになり、金準備の増減に伴ってマネタリーベースも増減することになった。1930年代中頃のアメリカには大量の金が流入することになったために、それに伴って金融政策は緩和されることになった。金の流入に伴う金融緩和はこの間の景気回復を支えた主要な要因であった(この点については、Romer(1992)を参照せよ)。

しかしながら、ルーズベルト政権がインフレの加速を懸念し始めるや、1936年12月に財務省は金の流入をすべて不胎化する決定を下すことになった。新たに流入してきた金はFedが供給する準備預金の拡大-準備預金の拡大はやがてマネタリーベースやマネーサプライの増加につながる-につながらないように休眠勘定(inactive account)上で保有されることになったのである(訳注;金不胎化政策の具体的な手続きについてはIrwin(2011)のpp.8を参照のこと。)。この金不胎化政策の結果、金の流入に伴ってマネタリーベースが増加することはなく、マネタリーベースは実質的にこれまでの水準に凍結される(これまでと変わらない水準に保たれる)ことになったのであった。

1937年の春になると景気は鈍化する様子を見せ始め、秋には景気停滞下にあることがはっきりとすることとなった。1938年2月、財務省は誤りを認めるところとなり、金不胎化政策の終了を決定した。1938年4月、財務省は出口戦略に乗り出し、「休眠中の」(inactive)金準備の非不胎化を始めることになった。そして1938年6月、景気回復が始動することになったのである。

金不胎化政策がマネタリーベースに対して及ぼした効果は図2に示されている。図2によれば、1934年から1936年にかけて金準備とマネタリーベースとは一貫して増加していることがわかる。しかしながら、1937年に入ると、金準備はこれまでと同様に増加し続けているものの、金不胎化政策のためにマネタリーベースは一定の水準を保ったまま変化することはなかった。不胎化されなかった(Non-sterilized)金準備(訳注;マネタリーベースの拡大に貢献した金準備)は1938年4月に財務省が金準備の非不胎化を始めるまで一定の水準に保たれることになったのである。

       図2  アメリカにおけるマネタリーべースと金準備;1934年-39年



金不胎化政策と預金準備率の引き上げとがそれぞれマネーサプライに対して及ぼした効果は次のように分解して考えることができるだろう。つまり、金不胎化政策はマネタリーベースに対する影響を通じて、預金準備率の引き上げは貨幣乗数に対する影響を通じて、それぞれマネーサプライに影響を及ぼすことになったと考えられる。つい最近私自身が執筆した論文によれば(Irwin 2011)、1937年においてマネーサプライの成長に生じた急ブレーキを説明する上では、貨幣乗数の変化よりもマネタリーベースの変化の方がずっと重要であったことが見出されている(訳注;つまりは、1937年におけるマネーサプライの急ストップをもたらした要因としては、(マネタリーベースに影響を及ぼした)金不胎化政策の方が(貨幣乗数に影響を及ぼした)預金準備率の引き上げよりも重要であった、ということ)。

1937年後半から1938年の中頃にかけてアメリカへの金の流入が止まった点についても指摘しておこう。金の流入が突然ストップした原因の一部は、ルーズベルト政権が景気後退に対処するために再度-1933年の初頭に大恐慌から抜け出すための手段として実施されたのと同じように-ドルの切り下げに乗り出すのではないかと投資家らが恐れを抱いたことによるものであった(当時の金融市場では、「一度だけ僕をだましたなら君の恥、二度も僕をだましたのなら僕の恥」("Fool me once, shame on you, fool me twice, shame on me")との見解が抱かれていたようである。)。しかし、1938年9月にヒットラーがチェコスロバキアに対して領土の割譲を要求し(ミュンヘン危機)、それがヨーロッパにおける戦争勃発の引き金になるのではないかとの恐れが広がるようになると、再びアメリカへ金が大量に流入し始めることになったのである。

もし過去の過ちを避けるつもりであれば、その(過去の過ちの)中身(内容)について正確に評価することが重要である。1937-38年の景気停滞があそこまで深刻であったのは、財政政策の引き締めや預金準備率の引き上げのせいではなかった。(その原因は、財務省が決定した金の不胎化政策にあったのであり、;訳者挿入)金の不胎化に伴って生じた金融ショックは決して穏やかなものではなかった。金不胎化政策の結果として、マネタリーベースの成長率が単に数%ポイント低下したというのではなく、その成長率はゼロ%にまで下落することになったのである。しばしばFRBに対して大恐慌下における稚拙な政策運営を叱責する非難の矢が向けられるものであるが、こと1937-38年の景気停滞下において生じた金融ショックに関しては政策上の誤りの責任は財務省にあったのである。

1937-38年の景気停滞はとうの昔の出来事ではあるが、それは今日に対しても政策上の教訓を有している。1937-38年の景気停滞が示唆していること、それは、景気回復の足取りが鈍い中にあってインフレーション(今日と同じように、1937-38年当時もインフレ率はきわめて低い水準にあった)に対する予防的な金融引き締め(pre-emptive monetary strike against inflation)に乗り出せばその結果として破滅的な景気停滞がもたらされかねない、ということである。


<参考文献>

○Brown, E Cary (1956), “Fiscal Policy in the 'Thirties: A Reappraisal(JSTOR)”, American Economic Review, 46: 857-879.
○Calomiris, Charles W, Joseph Mason, and David Wheelock (2011), “Did Doubling Reserve Requirements Cause the Recession of 1937-1938? A Microeconomic Approach”, NBER Working Paper No. 16688, January(NBER WPとは別のバージョンのWPはこちら(pdf)).
○Irwin, Douglas A (2011), “Gold Sterilization and Recession of 1937-38(pdf)”, Working paper.
○Romer, Christina D (1992), “What Ended the Great Depression?(pdf)”, Journal of Economic History,52:757-784.
○Romer, Christina D (2009), “The Lessons of 1937”, The Economist, 18 June.

2011年11月1日火曜日

Henry Farrell 「経済学者間での意見の不一致に関するシンプルなモデル」

Henry Farrell, "A simple model of disagreement among economists"(Crooked Timber, March 17, 2011)

ライアン・アベント(Ryan Avent)マット・イグレシアス(Matt Yglesias)が「公的な議論の場では経済学者間での意見の不一致が実際よりも誇張されてしまうことになるのではないか」と語っている。こういった話題についての古典的ともいってよい見解は、アラン・ブラインダー(Alan Blinder)が『Hard Heads, Soft Hearts』(邦訳;『ハードヘッド ソフトハート』)の中で「経済政策に関するマーフィーの法則」と名付けた以下のような見解である。すなわち、


Economists have the least influence on policy where they know the most and are most agreed; they have the most influence on policy where they know the least and disagree most.
(「エコノミストの知識がもっともよくゆき届いており、彼らの間でもっとも意見の一致が見られるとき、エコノミストの経済政策に与える影響力は最小となる。逆に、エコノミストの知識がもっとも不足しており、意見のバラツキがもっとも大きいとき、エコノミストの影響力は最大となる。」(邦訳、pp.16より引用))


この見解を目にした時からずっと私は個人的に「果たしてこの見解は事実を的確に捉えているのだろうか」と思案してきたものである。ブラインダーのこの見解は、(a)経済学者間での意見の不一致の程度、と、(b)公的な議論の場において経済学者の存在・意見がはっきりと目立つそのさま、との間に容易に観察できる相関関係が存在する(訳注;経済学者間での意見の不一致の程度が大きければ大きいほど、公的な議論の場で経済学者の存在・意見がますます一層目立つ)ことを説明する助けとなるものである。しかし、「目立つ」(prominence)というのは「影響力がある」(influence)というのとは同じではなく(「目立つ」ならば「影響力がある」とは必ずしも言えず)、逆もまた言えるのではないか(「影響力がある」ようならば「目立つ」とは必ずしも言えない)とも考えざるを得ず、それゆえ、経済学者が意見を異にする際に政策に対して影響力を持つとはいってもその影響力はそれほど大したものではないのではないかと個人的には感じるのである。以下、この点についてモデル(モデルといっても非常にカジュアルな意味でそう呼んでいることを了解していただきたい)を用いて素描してみることにしよう。

(I) 政治アクターの中には、それ(=ある特定の経済政策)が経済学的に理にかなったものかどうかにかかわらず、特定の経済政策がもたらす結果に対して強固で安定的な選好(stable preferences)を有する主体が存在する。例えば、政党や利益集団は、規制を設けることで一国全体の経済成長が抑制されることになったとしても、その規制によって自らの構成メンバーや自らの支持者に対して便益が再分配されることになるとすればそのような規制の実施を望むことだろう。一方で、このような規制の実施を通じた便益の再分配に対して異を唱える(先の政治アクターとは異なる利害を有する)政治アクターが一般的には存在することだろう。この政治アクターは(先の政治アクターに便益をもたらすような)規制の実施に反対したり、あるいは、自分自身や自らの支持者に対して好ましい結果をもたらすような別の規制の実施を求める声を上げたりすることだろう。こうして政治アクター間での利害の対立は激しい政治論争をもたらすことになる(と予想される)。

(II) 政治アクターの中には――彼らがその特定の経済政策に対して注目を寄せる限りにおいての話ではあるが――経済政策に対してそれほど強固な選好を有してはいないアクターが存在する。その典型は一般の人々(the public)である。特定の経済政策に対してそれほど強固な選好を有していない一般の人々は、専門家(今の文脈では経済学者)によって裏付けを与えられた(専門家が支持を与えた)政策を支持するような方向に説得される可能性を秘めている。

(III) 経済学者――特定の政策に対して支持・裏付けを与える専門家――は一連の(経済学に)特有の方法論やモデリング技術に依拠して分析を行ったり、政策を評価したりしているが、その方法論やモデリング技術からはいくつかの一般的な結論が導かれ示唆されるだけではなく、ちょっとしたごまかし(jiggery-pokery)(誰もがよく知る部分均衡モデルやフォーク定理など)と併用することで(経済学に特有の方法論やモデリング技術から)自らが好むような政策処方箋を支持する結論を導き出すことも可能である(この点については、D.マクロスキー(Donald McCloskey)の以下の論文“The Rhetoric of Economics”(pdf)を参照せよ)。さらには、経済学者の中には政治論争をたたかわせている対立する政治アクターの一方の側に優勢に働く議論に支持を与えるような理論(経済理論)的な見解を見つけ出すよう(おそらくは特定のイデオロギーに対するコミットメント(傾倒)あるいは金銭的なインセンティブ、もしくは両者の組み合わせを原因として)突き動かされる人物もいることだろう。

(IV) (特定の経済政策に対して)強固で安定的な選好を有する政治アクターは、様々な手段(快適な環境の下で開催される週末の学術的なセミナーに招待したり、あるいは直接的に金銭的な便宜を図ったりetc)を用いることを通じて、(特定のイデオロギーに対するコミットメント(傾倒)あるいは金銭的なインセンティブ、もしくは両者の組み合わせに基づいて)自らの陣営に対して支持を与えてくれる可能性のある経済学者が自らの陣営にとって便益をもたらしてくれるであろう経済政策に対して実際にも理論的な支持を与えてくれるように促し、そうする(経済学者が特定の経済政策に対して理論的な支持を与える)ことで(特定の経済政策に対して)それほど強固な選好を有してはいない、あるいはそれほど明確な選好を有してはいない政治アクター――世間一般の人々――に対して影響を与えることが可能である。

ここで注記しておくと、私自身この簡単なモデルの大雑把なスケッチをありのまま受け入れるつもりはないという点は指摘しておこう。確かに、経済学的な思考方法(economic thinking)はこのモデルが示唆する以上に確固とした首尾一貫性を備えており、ある立場を支持することは他の立場を支持すること以上に(訳注;ある立場を支持するためには議論における首尾一貫性を大きく犠牲にしないといけないなどして)議論を呼ぶということがあるだろう。また、アイデアというのは、単に既存の政治的なアジェンダをイデオロギー的に正当化するものにすぎない、というわけでもない。しかしながら、そうではあるとしても、この簡単なモデルから予測される結果は何ほどか興味深いかたちで現実の結果と結び付くのである。このモデルのあり得る(それなりに合理的な)予測は以下のようにまとめることができるかもしれない。

(1) 経済学者間での論争の内容が政治アクターの目にとまる(政治アクターの気をそそる)ことがないよう状況においては、経済学者は外部からの政治的な影響から自由でいられることだろう。このような状況においては、政治アクターにとっては特にこれといった関連性を有することのない経済学上の多くの命題が語られることだろう。そのうちの命題のいくつかは単に政治家やその支持者にとってこれといった大きな分配上の効果をもたらすものではないために、またそのうちのいくつかの命題はすべての政治アクターにとって受け入れがたい(repugnant)ものであるために、政治的に関連性がないとみなされることだろう。このような状況においては、経済学者の間で意見対立を生じさせるような外的な圧力は存在せず、(経済学者が本来的に備える、何かと衝突しがちな性向(vexatiousness)が許す限りにおいてではあるが)経済学者らは互いに幸せな意見の一致(happy concordance)を見ることになるだろう。

(2) 経済学者間での論争の内容が政治アクターの目にとまる(政治アクターの気をそそる)ようなものであり、かつ、経済学者の間で正真正銘のコンセンサス(意見の一致)が存在するような状況においては、経済学者の影響力は最大のものとなることだろう。このような状況においては、その利害が(経済学者間での)コンセンサスと対立するような政治アクターに対して経済学者の影響力が及ぶことはないだろうが、一方で、その利害がコンセンサスと合致するような政治アクターからはコンセンサスを擁護する姿勢を期待することができ、加えて、経済学者による影響を受け入れる姿勢にあるような一般の人々の中には経済学者間のコンセンサスを聞き入れる人が現れる可能性がある。しかしながら、この(経済学者にとって)幸せな状況はかなり不安定なものである、という点には注意しておこう。というのも、その利害が経済学者間のコンセンサスと対立することで不利な立場に置かれている政治アクターは、コンセンサスに不満を抱いている可能性のある経済学者が公に異議を表明するよう支援の手を差し伸べて励ましたり、コンセンサスに対する反論を聴取するべくその経済学者を1週間にわたる無駄仕事(boondoggles)の旅に自らの費用持ちで何度も連れ出したりするなどして、経済学者間でのコンセンサスを突き崩そうとする強いインセンティブを持つだろうからである。経済学者が有するその政治的な影響力の程度に応じて、不利な立場に置かれた政治アクターは、公的な議論の場で自らの陣営に対して支持を与えてくれる「味方の」経済学者に頼ることができるようにするために、経済学者間でのコンセンサスを突き崩し、もって経済学者間で意見の対立が生まれるよう試みるインセンティブを有することだろう。そういうわけで、この(2)の状況は遅かれ早かれ次のような(3)の状況へと移行することになるだろう。

(3) 経済学者間での論争の内容が政治アクターの目にとまる(政治アクターの気をそそる)ようなものであり、かつ、経済学者間での意見対立が存在するような状況においては、経済学者が政治的な結果に対して及ぼす影響は控え目なものとなることだろう。この状況においては、対立する政治アクターのどちらの側も自らの陣営の主張を裏付け、自陣にとって有利になるようなモデルや計量経済学的な結果etcを提供してくれるような経済学者を抱えていることだろう。この状況(この状況は「ジョン・ロット」('John Lott’)均衡とでも呼ぶことが可能(欄外訳注1)かもしれない)は、(2)の状況とは異なり、例外的なケースを除いては極めて安定していることだろう。

以上で素描したモデルからはどのような予測が導かれるだろうか? 冒頭で触れたブラインダーの格言と同様に、このモデルは、(a)経済学者間での意見の不一致の程度、と、(b)経済学者が政治論争に関与(involvement)する程度、との間に観察可能な相関関係が存在するだろうことを示唆している。経済学者の間では人気があるが、どの政治アクターにとっても等しく気がそそられることがないような「あなたのお皿にある野菜を食べなさい」('Eat your greens')といった類の種々の命題は、ブラインダーの格言でも述べられているように、どの政治アクターからもことごとく無視されることだろう。しかし、ブラインダーの格言とは異なり、このモデルによれば、経済学者が互いに意見を異にするような状況においては、それぞれ別の政治アクターのために語る経済学者が互いに対立する意見をたたかわせることになるために一般の人々に対する影響力は少なくとも部分的に相殺されることになるので、経済学者の影響力は取り立ててそれほど大きなものではないだろうことが示唆される。また、このモデルによれば、経済学者の影響力は、経済学者が互いに意見を異にするような状況においてよりも、政治論争に積極的に参加する政治アクターのうちどちらか一方の側を経済学者が一致して支持するような状況-稀でありかつ束の間の(不安定な)状況-においての方がずっと大きいだろうことが示唆されることになる。

(追記)このモデルは、「公共選択論」という学問領域が登場してきた理由に関する公共選択論的な簡潔な説明を内に含んでいる。この点を明らかにすることは読者への練習問題として残しておこう。

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(欄外訳注1)なぜ(3)の状況を「ジョン・ロット」均衡と呼び得るのかという点については、イアン・エアーズ著/山形浩生訳『その数学が戦略を決める』(特に第7章の7.9節(ジョン・ロットってだれ?)と7.10節(でもそれがまちがっていたら?)あたり)をご覧になればヒントが得られるかもしれません。

2011年6月2日木曜日

Gauti Eggertsson 「コモディティー価格と「1937年の過ち」:現代の経済学者は同じ過ちを繰り返すだろうか?」


Gauti Eggertsson, "Commodity Prices and the Mistake of 1937: Would Modern Economists Make the Same Mistake?"(Liberty Street Economics, FRB of New York, June 1, 2011)


1937年当時-特に、重大な政策上の失敗が生じる直前の時期-のアメリカが置かれていた経済状況は、今現在アメリカ経済が置かれている状況と驚くほど酷似したものであった。例えば、以下の経済状況についての要約的な記述を見てほしい。(1)ついに不況が終わりを迎えつつある兆しが見え、(2)数年にわたりほぼゼロ%の水準にあった名目短期金利がそろそろ引き上げられるのではないかとの期待が抱かれ、(3)インフレーションの行き過ぎに対する懸念の声がちらほらと聞こえてくるようになる。(4)インフレーションの行き過ぎに対する懸念の一部は、近年におけるマネタリーベースの急増と銀行部門に累積する大量の超過準備(必要準備を上回る準備預金残高)の存在に基づいており、(5)さらには、近時におけるコモディティー価格の上昇がインフレーションのスパイラル的な上昇を招くことになるのではないかと心配する声も耳にするようになる。

以上の記述は疑いもなく今現在の経済状況を要約したものともなっているが、実のところ、この記述は私がベンジャミン・パグスレー(Benjamin Pugsley)と共同で執筆した論文 “The Mistake of 1937: A General Equilibrium Analysis(pdf)” の中で要約した1937年当時の経済状況の説明を再掲したものなのである。我々が論文で「1937年の過ち」(“the Mistake of 1937”)と呼んでいるものは、大まかに言うと、Fedと政府が実施するに至った一連の引き締め政策のことを指している。Fedと政府によるこの一連の引き締め政策のために、1933年から1937年にわたって続いた景気回復が頓挫させられることになり、1937年~1938年の不況-記録上最も深刻な不況の中の一つ-がもたらされることになったのである。特に注目すべきは、「1937年の過ち」の引き金となったインフレに対する恐れは、かなりの程度、コモディティー価格の上昇によって醸成された、という点である。1937年当時がこのような状況にあったということを知ることで、我々は1937年と今現在-つまりは、コモディティー価格の急騰を原因としてインフレに対する恐れが醸成され、コメンテーターの口々からFF金利(政策短期金利)の引き上げを求める声が発せられている今現在の状況-との直接的な比較へと誘われることになる。

ここで一つの質問を投げ掛けてみることにしよう。もし現代の経済学者を1937年に送り込むことが可能であったとして、果たして現代の経済学者である彼/彼女は「1937年の過ち」と同じ過ちを繰り返すことになったであろうか? この質問に対する私の回答は、「1937年の過ち」が繰り返されることはない、というものである-幾分かそうなって欲しいとの希望が込められているのは確かであるが-。その理由は、現代の大半の経済学者は、コモディティー価格の上下動によって生じる消費者物価指数の一時的な変動と全般的なインフレ圧力に基づいて生じる消費者物価指数の変動とを区別して判断するようになっており、現代の大半の経済学者であれば、1936年と1937年に見られた価格上昇はあくまでもコモディティー価格の一時的な上昇に基づくものであって、足許で全般的なインフレーションが急速に進んでいるサインではない、と認識しただろうからである。


「1937年の過ち」とその結果

「1937年の過ち」は景気回復の基盤が未だ脆弱な中での予防的な引き締め政策であった。もっと具体的に言うと、「1937年の過ち」は、1933年に入って採用されることになった「リフレーション」(“reflation”)政策の放棄を意味する決定であった。1929年~1933年の不況に伴う物価下落を受けて、フランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt、 FDR)大統領率いる当時の政権とFedは不況が始まる以前の水準にまで物価水準を引き上げるコミットメントを行ったが(ルーズベルト大統領が主導した1933年~1937年の景気回復についてもっと詳しく知りたければ、American Economic Reviewに掲載された私の論文 “Great Expectations and the End of the Depression(pdf)” を参照してほしい)、このリフレーション政策は、政府支出の積極的な増加と大規模な財政赤字の維持、金本位制の停止、金融緩和によってバックアップされることになった。現代のマクロ経済モデルが説明するところによれば、これらリフレーション政策の組み合わせは、名目短期金利がゼロ%の下限に達した状況下-まさに1937年当時がそうであったが-において非常に大きな緩和効果(景気刺激的な効果)を持ち得ることになる。というのも、名目金利がゼロ%の状況で人々が物価下落の継続ではなく物価上昇を期待するようになれば、実質金利―実質金利は総支出の重要な決定因である―がプラスの水準からマイナスの水準にまで低下することになるからであり、実質金利がマイナスになれば貨幣を退蔵するよりも支出に回した方が得になるからである。リフレーションの(実質金利の低下に加えた)追加的な便益としては、リフレーションが過剰な債務を抱える家計や企業のバランスシートの回復を後押しし得る点も挙げられるが、この点についてはポール・クルーグマン(Paul Krugman)との共著論文 “Debt, Deleveraging, and the Liquidity Trap(pdf)” で詳しく説明しているところである。

「1937年の過ち」はリフレーションに伴う諸便益を放棄し、あらゆる政策の方向性を反転させることとなった。1937年に入ると、Fedと主要な政府高官は金利引き上げをほのめかすようになり、財政緊縮を支持する立場を鮮明にするようになった。政策当局者らの主要な関心は、景気回復の継続よりもインフレーションの抑制に向けられることになったのである。

政策の反転が物価と生産に与えた効果は以下の図に明らかである。1番目の図は1927年~1941年における消費者物価指数(CPI)と卸売物価指数(WPI)の変動をプロットしたものであり、2番目の図は同期間(1921年~1941年)における鉱工業生産の変動をプロットしたものである。両図ともに図中に3本の垂直線が引かれているが、一番左の垂直線はルーズベルトが大統領に就任し、リフレーション政策の採用を宣言した時点を表しており、また左から2番目の垂直線は「1937年の過ち」が犯された期間を表している。1番目の図を見ると、当時の政権が「インフレ率が高すぎる」と警告を発し始めた1937年の時点においては、物価水準は依然として不況が始まる前の水準-それまで政権が目標として掲げていた水準-にまでは回復していないことがわかる。両図に明らかなように、政策の反転後、物価は下落し、鉱工業生産は落ち込むこととなった。 “reversal of 1938”(「1938年の反転」)と名付けられた一番右の垂直線は、政権が不況以前の水準にまで物価水準を引き上げることに再度コミットした時点を表している。2番目の図にはっきりと示されているが、「1938年の反転」(再度のコミットメント)後に鉱工業生産が堅調な成長を見せている事実は重要である。






コモディティー価格の役割

1937年に入って政策が引き締めの方向へと反転させられることになった原因は「インフレに対する恐れ」(inflation fears)にあるが、一体何が原因で「インフレに対する恐れ」が醸成されることになったのであろうか? インフレに対する恐れは、かなりの程度、コモディティー価格の上昇によって醸成された。以下の図に示されているように、各種のコモディティー価格がわずか1年の間に2倍以上も上昇したのである。パグスレーとの共著論文でも指摘していることだが、このコモディティー価格の急騰を受けて、多くの政策当局者らはインフレーションの行き過ぎに対する懸念を表明するようになったのであった。



仮に現代の経済学者が1937年に送り込まれて政策の運営を担う立場にあったとしたら、(現代の経済学者である)彼/彼女がコモディティー価格の上昇に対して当時の政策当局者らと同様の反応を見せる可能性はおそらく小さいだろう。一般的に言って、現代の経済学者は、全般的な物価指数の動きを脇に置いてコモディティー価格だけを取り上げてそれに注視することはない。1936年と1937年におけるコモディティー価格上昇の大部分は、おそらくは全般的な物価水準に生じた上昇圧力に基づくものというよりは(コモディティー市場に生じた)一時的な供給ショックにその原因があったのではないかと推測される。この推測は、1936年から「1937年の過ち」が犯されるまでの期間にコモディティー市場の中には例えばトウモロコシなどのようにその価格が2倍以上も上昇した商品がある一方で、消費者物価指数は1937年5月に年率4.8%の上昇率を記録したことをピークにずっと緩やかにしか上昇していない事実-一番最初に掲げた図を参照-によって支持されるところである。以上の事実は、消費者物価指数を構成する商品の中には非常に大きな価格変動を見せた商品がいくつか含まれていた一方で、消費者物価指数全体で見れば変動はそれほど大したものではなかったことを示しているように思われる。

今日、Fedのエコノミストは消費者物価指数(CPI)の中でも一時的な供給ショックにそれほど大きくは影響されることのないCPIの動きに注目する傾向にある。一時的な供給ショックにそれほど影響されないCPIの典型的な例としては、通常のCPI(ヘッドラインCPI)から価格変動の大きい食料やエネルギーを除いた「コアCPI」がある(以下の図を参照)。2008年の初期に入って、アメリカ経済にはやがて危機にまで発展することになる下押し圧力が加わり始めることになった。経済の先行きの見通しがはっきりしてくるにつれて、経済学者らはインフレ圧力よりも物価下落圧力に対して懸念を抱くようになった。物価下落圧力に対する懸念の高まりに支えられて、2008年を通じて政策金利は積極的に引き下げられることになり、最終的に政策金利は実質的にゼロ%にまで低下することになったのであった。



しかしながら、上の図(のヘッドラインCPIの動き)からも読み取ることができるように、2008年初期における石油価格の上昇を原因として同期間にコモディティー価格は一時的な上昇を見せていた。コモディティー価格の上昇を目にして、コメンテーターの中には「行き過ぎたインフレーション」に対する警告を発する者も現れた。しかし、Fedのエコノミストらは価格(コモディティー価格あるいはヘッドラインCPI)の上昇は個別商品に特有の事情によるものであり、全般的な物価上昇圧力が働いていることを示すサインではない、と判断した。Fedは、2008年7月にヘッドラインCPIで測ったインフレ率が年率5.5%のピークを記録したにもかかわらず、コモディティー価格の一時的な上昇にはほとんど目を向けることなく、コアインフレーション(コアCPI)ないしは変動の小さいその他の物価指標の動きに注目した。そして、このFedの判断は正しかったことが判明した。 コモディティー価格の比較的大きな変動にもかかわらず、危機の過程において全般的な物価水準のトレンドには実際には下落圧力がかかっていたのである。

つまりは、仮に現代の経済学者が1937年に送り込まれて政策運営にあたったとすれば、(現代の経済学者である)彼/彼女が当時の政策当局者が実際に実行したのと同程度の規模で予防的な引き締め政策を実施する可能性は小さい、ということである。過去数十年にわたる一般均衡モデルの研究の助けもあって(この点については、例えばEusepi, Hobjin, and Tambalotti(pdf)を参照)、現代の経済学者は、一時的な撹乱要因に基づく相対価格の動き-例えば、1937年のコモディティー価格の上昇-と全般的なインフレ圧力を反映している可能性のあるコアインフレーションの動きとを区別することに過去よりも幾分か長けているのである。

2011年5月5日木曜日

Chris Dillow 「2つの正義」


Chris Dillow, "Two justices"(Stumbling and Mumbling, May 03, 2011)


果たしてこの度のオサマ・ビン・ラディンの殺害を「正義が成し遂げられた」(“justice has been done”)ものとして理解してよいものなのだろうか?(こちらこちらこちらを参照) この点に関連してちょっとしたパラドックスが持ち上がってくる。
おおざっぱに言って、正義に関する見解は、「プロセスとしての正義」(訳注;プロセスが正義に適っているかどうか、を問題とする立場)と「結果としての正義」(訳注;結果が正義に適っているかどうか、を問題とする立場)との2タイプに分類することが可能である。「プロセスとしての正義」という観点からすると、正義は成し遂げられなかった、ということになろう。というのも、ビン・ラディンの殺害は公正な(just)裁判の過程を経た結果ではないからである(原注1)。しかしながら、「結果としての正義」という観点に立てば、正義は成し遂げられた、ということになるのかもしれない。犯した罪の重さゆえに死に値する人物がいるとすれば、まさしくビン・ラディンはそのような人物である、と言い得るからである(原注2)。
さて、ここで冒頭で指摘したちょっとしたパラドックスが生じてくることになる。経済問題が論じられる文脈においては、「結果としての正義」(justice as outcome)と「プロセスとしての正義」(justice as process)とのどちらの正義観を受け入れるかという点とイデオロギー上の右(保守派)か左(リベラル派)かという点との間には大きな関連が見られる。多くの―すべての、とは言わないが―リベラル派は、それ(=経済面での不平等)がどのようなプロセスを通じて生じたものであるかにかかわらず、現実における経済面での不平等(所得分配の不平等、格差)は非常に大きいものと考えている。これは正義を結果に照らして判断する立場である。一方で、多くの保守派は正義をプロセスに照らして判断する立場に立つ。この点は、ロバート・ノージックの有名な格言「公正な手段を通じて実現するもの(あるいは結果)は何であれ、それ自身公正である」(“whatever arises by just means is itself just.”)に要約されている。また、以下のハイエクの言葉も「プロセスとしての正義」という立場を表現したものである。

市場メカニズムを通じた個々人への便益(benefits)と負担(burdens)の分配が誰かしらの思慮の結果であるとすれば、市場メカニズムを通じた便益と負担の分配は、多くの場合、非常に不公正なものであると見做されねばならないだろう。しかし実際はそうではない。市場メカニズムを通じた便益と負担の分配は、その最終的な結果が誰かしらによって意図的に操作されないと同時にその最終的な結果が誰からも予見されないような性質を備えるプロセスの結果として生じるものなのである。

(The manner in which the benefits and burdens are apportioned by the market mechanism would in many instances have to be regarded as very unjust if it were the result of a deliberate allocation to particular people. But this is not the case. Those shares are the outcome of a process the effect of which on particular people was neither intended nor foreseen by anyone.) (Law, Legislation and Liberty vol II, p64)


経済問題に関しては、保守派は「プロセスとしての正義」の立場に立ち、一方でリベラル派は「結果としての正義」の立場に立つ、ということを前提にすると、ビン・ラディン殺害に対して、保守派は疑いの目をもって臨み、リベラル派は比較的肯定的な態度で臨む、ということが予想されることだろう。というのも、ビン・ラディンは適正な法の手続き(due process)を経ることなく殺害されたが、殺害という結果は「結果としての正義」に適っていると言い得るわけだからである。しかしながら、どうもこの予想は適当ではないようである。予想されるところとは違って、ビン・ラディン殺害に対して、保守派の中のある人物すべての保守派ではないが-は喜びを示し、リベラル派の中のある人物-すべてのリベラル派ではないが-は気のとがめを見せているのである。

さて、それではなぜ予想とは異なる結果が生じるのであろうか? その理由の一つとして考え得るのは、我々は経済問題を語る際にも犯罪(が絡む)問題を語る際にも同じ「正義」という言葉を用いているが、文脈の違いに応じて(=経済問題を論じる際と犯罪問題を論じる際とで)「正義」という言葉に対して異なる意味合いを持たせているのかもしれない、ということである(となれば、なぜそうであるのか、という疑問が生じてくることになる)。別の理由としては、正義に関する我々の直観が単に混乱しているにすぎないためなのかもしれない。あるいは、ビン・ラディン殺害を巡る議論の中において実のところそもそも正義は争点になっていない、ということなのかもしれない。


(原注1) ここで私は、ビン・ラディンの殺害が暗殺であったのか、それとも通常の軍事行動の中での殺害であったのか、という問題-この違いは重要であると考える人もいることだろう-は無視していることを注意しておく。
(原注2) 罪の重さゆえに死に値する人物がいると考えながら、例えばプロセスが不公平(unfair)であることを理由に死刑(あるいは殺害)に反対することも首尾一貫した立場として成り立ち得る。

2011年3月6日日曜日

Anna Maria Mayda and Kevin H. O’Rourke 「大きな政府とグローバリゼーション;政府と市場との補完的な関係」

Anna Maria Mayda and Kevin H. O’Rourke, “Big governments and globalisation are complementary”(VOX, November 12, 2007)
貿易の自由化は勝者と敗者とを生み出すが、勝者は敗者が被る痛み以上の利得を手にする。政府は、勝者と敗者がお互いの利得と痛みとを分かち合うメカニズム(勝者が敗者に補償するメカニズム)を前もって用意することを通じて、自由貿易に対する世間一般の支持を醸成するべきである。本論説では、自由貿易に対する支持を生み出すような(政府が提供する)補償メカニズムについていくつかの事例をあげて議論する。
2世紀以上の長きにわたって経済学者は自由貿易の利点を説いてきているものの、世間一般の大多数の人々は今もなお強硬な保護主義者のままである。1995年~1997年の期間に47カ国6万人以上の人々を対象にして「自由貿易とさらなる輸入制限とのどちらを望みますか?」とのアンケートが実施されたが、回答者のうち約60%の人々がさらなる輸入制限の方を選んだ(原注1)。中国やインドの経済的なパフォーマンスがこの先も好調な状態を維持し、これら両国が世界経済に占める地位がさらに高まることになれば、おそらくヨーロッパやアメリカにおいて保護主義を支持する声は今日以上にさらに広がることになるだろう。政府は自由貿易に対する世間一般の恐れを和らげ得るような術を持ち合わせているだろうか? 政府が直面する選択は、保護主義を求める声をはねつけるか、それとも保護主義を求める声に屈するかの二者択一の選択なのだろうか?

グローバリゼーションに対する主たる不満の一つは、自由貿易が進むことで経済的なリスク(economic insecurity)が高まる、という点にある。海外の生産者(あるいは労働者)との競争にさらされることにより国内の個々の労働者がこれまで以上にリスクが高くて(訳注;職を失うリスクが高くて)予測が困難な(訳注;将来的な職の安定に対する予測が困難な)環境に置かれるようになるという意味で経済的なリスクが高まる、というわけである。もしグローバリゼーションが経済的なリスクを高めることになるとすれば、そのようなリスクに対する政府の対応の一つとして考え得るのは、予測されざる経済的なリスクに備えて適当なセーフティーネットを整えること、つまりは、国内の労働者に対して経済的なリスクに備えた一種の保険を提供する、ということになろう。ダニ・ロドリック(Dani Rodrik)の有名な論文(原注2)でも述べられているように、他国に対して開放的な国ほど(貿易の自由度が高い国ほど)政府の規模が大きい傾向にある理由はまさにこの点(訳注;市場の開放が進むにつれて国内の労働者が直面する経済的なリスクが高まることになり、このリスクの高まりに備える手段として政府が提供する公的な保険への需要が増大することになる)に求められるのである。政府と市場とは互いに代替的な関係にあるのではなく、実際のところは政府と市場とは補完的な関係にあるのである。自由貿易に対する政治的な支持を醸成する上で政府のプログラムはきわめて重要な役割を果たすのである。

経済史を眺めると「政府と市場とは補完的な関係にある」という見解を支持する顕著な証拠を見出すことができる。現代の福祉国家の礎が築かれたのは、まさに第1回目のグローバリゼーションの絶頂期-第一次世界大戦に先立つ数十年の期間-であった。当時のヨーロッパにおける社会主義的な政党は、一連の社会保険プログラム―年金、傷害保険、失業保険―の導入と引き換えに自由貿易を促進する政策を支持していた。当時、社会保険プログラムの導入に向けた改革が最も進んだのは他国に対して最も開放的な国においてであった。第1回目のグローバリゼーションの絶頂期は底辺への競争(race to the bottom)がもたらされた時期ではなく、ヨーロッパにおいて自由貿易(の促進)と社会政策(の導入)とが手を携えて進んだ時期であった。最近の歴史研究が示しているように、当時において自由貿易に対する世間一般の支持が醸成され得た理由は、自由貿易(の促進)と社会政策(の導入)とが手を携えて進むことになったからこそなのである(原注3)。他の歴史的事例を取り上げると、市場開放(自由貿易の促進)と国内経済の安定化とに対するコミットメントをともに含んだ第2次世界大戦後を見据えた(国際政治経済体制の枠組み作りに向けた)各国間の合意(the post-1945 political settlement)(訳注;ブレトン・ウッズ協定、中でもGATTのことか?)は、戦間期における自給自足(autarky)経済への傾斜が各国経済に破滅的な損害をもたらすことになったこと、市場開放は経済の回復にとって不可欠であることを確認する一方で、市場開放は(市場開放に伴う)経済的な不安定性を減ずるとともにそれに対する保険を提供するような積極的な政府介入なしには維持可能ではないとの認識を反映したものであったと見なすことができよう。

政治学者のリチャード・シノット(Richard Sinnott)と共同で執筆した最近の論文において、我々は、「政府支出は自由貿易に対する支持を高め得る」との見解を支持するような示唆に富むミクロ経済的な証拠を明らかにした(原注4)。ヨーロッパとアジアにおける18カ国のサーベイデータをもとに、我々は、リスク回避的な人ほど自由貿易に反対しがちであることを見出すとともに、この効果(訳注;リスクへの態度が自由貿易に対する態度に及ぼす効果)は、政府支出の対GDP比が大きい国においてはかなりの程度弱まることも見出したのである。

我々が論文で用いた計量経済モデルの統計的推定によれば、リスク回避の程度を表す変数が最大値にまで上昇すると、スウェーデンにおいては、回答者が極端な保護主義者である確率が約6.5%ポイント上昇することが示されている。この効果(訳注;リスクへの態度が自由貿易に対する態度に及ぼす効果)は確かに大きな効果ではあるが、インドネシアにおいては、その(=リスク回避の程度を表す変数が最大値にまで上昇した場合に回答者が極端な保護主義者である)確率は約16%ポイント上昇することが示されており、その効果はスウェーデンのケースの2倍以上である。スウェーデンとインドネシアとの重要な違いは政府最終消費支出の対GDP比にある。スウェーデンにおけるそれ(=政府最終消費支出の対GDP比)は26.6%である一方で、インドネシアにおけるそれはわずか6.5%である。個々の労働者や家族が経済的なリスクをかなりの程度自らで負担しなければならないインドネシアと比べて、政府が経済的なリスクに対する保険を提供しているスウェーデンにおいての方が、リスク回避的な人が自由貿易に対してそれほど抵抗を示さないとしても驚くことではないだろう。

自由貿易に反対する理由は人によって様々だろう。例えば、我々が利用したサーベイデータによれば、非経済的な理由・愛国主義的な理由を根拠として他国との経済的な結びつきが強まることに反対する人もいる。ただし、ヨーロッパに話を限定すると、我々の論文では、親ヨーロッパ的な感情と自由貿易に対する好意的な感情との間には明確なつながりがあることが示されている(訳注;おそらく、自由貿易に対する支持と愛国的な感情(この場合は「国」というよりは「ヨーロッパ」だが)とは必ずしも相容れないものではない、ということを指摘したいのだろう)。この事実は、ヨーロッパ統合の歴史的な過程を顧みればそれほど驚くことでもないだろう。自由貿易に反対する理由は人によって様々ではあろうが、豊かな国々の政府は、市場の開放に伴って高まる経済的なリスクへの対処を可能とするような補完的な国内政策を実施することを通じて、個々の労働者や家族に過度のリスク負担を求めないことを明確にし、そうすることで自由貿易の促進-豊かな国々における自由貿易の促進は、この先貧しい国々が輸出を通じて大きく繁栄する上でも不可欠のものである-に対する世間一般の政治的な支持を醸成することが可能なのである。


(原注)

(注1) World Values Survey, 1995-1997. 以下のリンクを参照のこと。http://www.worldvaluessurvey.org/
(注2) Rodrik, D., 1998. "Why Do More Open Economies Have Bigger Governments?", Journal of Political Economy 106, pp. 997-1032(ワーキングペーパー版はこちら(pdf)).
(注3) Huberman, M. and W. Lewchuk, 2003. "European Economic Integration and the Labour Compact, 1850-1913", European Review of Economic History 7, pp. 3-41(ワーキングペーパー版はこちら(pdf)).
(注4) A.M. Mayda, K.H. O’Rourke and R. Sinnott, 2007. "Risk, Government and Globalization: International Survey Evidence(pdf)"