2014年9月30日火曜日

Stephen Grenville 「量的緩和、貨幣の増刷、ヘリコプターマネー、そして財政ファイナンス」

Stephen Grenville, “Helicopter money”(VOX, February 24, 2013)

財政ファイナンスとは具体的にはどのようなものなのだろうか? 本論説では、しばしば同一視されがちな「貨幣の増刷」や量的緩和、財政ファイナンスの間の違いについて説明する。それに加えて、ターナー卿による「ヘリコプタードロップ」提案に伴う課題――民間銀行部門のバランスシートに生じる歪みならびに「中央銀行の独立性」を脅かす可能性――についても触れる。

金融政策(特に量的緩和)を巡る論議の中に混乱の種を持ち込んでいる2つの用語がある。それは「貨幣の増刷」と「ヘリコプターマネー」である(Sinn 2011)。


量的緩和≠貨幣の増刷

量的緩和を「貨幣の増刷」(輪転機を回してお金を刷ること)と同一視するのは不適切である。国民が保有する現金の量は現金需要(現金に対する需要)によって決定されるのであって、例えば(イギリスの中央銀行にあたる)イングランド銀行が量的緩和を実施して民間の銀行から債券を購入する際にはその民間銀行がイングランド銀行に開設している預金口座に債券の購入代金が振り込まれるのである。つまりは、量的緩和の過程で増えるのはあくまでも準備預金の量なのであり、準備預金を構成要素とするマネタリーベースの量なのだ。現金に対する需要が増えない限りは「貨幣を増刷する(お金を刷る)」必要はないのである。

量的緩和が進められる過程で超過準備(民間の銀行が中央銀行に預けている預金のうちで法律で定められている預け入れ額を上回る部分)を抱えることになった民間の銀行は貸出を行ったり債券を購入したりして手持ちの準備預金を減らそうと試みるかもしれない。しかしながら、個々の民間銀行が新たに貸出を行おうと新たに債券を購入しようとマネタリーベースの量は変わらないのである。


量的緩和≠ヘリコプターマネー

中央銀行の総裁がへリコプターを操縦し、地上で待ち構える国民に向けて空から大量のお金をばらまく。量的緩和を実施する中央銀行の姿をそのようなイメージとだぶらせる見解は広く見受けられるが、そのような捉え方は量的緩和を「貨幣の増刷」と同一視するよりもずっと誤解を招くものだ。国民に直接現金を配布する権限を持っているのは中央銀行ではなく政府である(現実問題としては現金ではなく小切手が配布されることになるだろう。例えば2009年にオーストラリア政府は多くの納税者に対して「キャッシュ・スプラッシュ」(‘cash splash’)と呼ばれる小切手を配布した)。それゆえ、国民に直接現金を配布する政策(「ヘリコプターマネー」)は金融政策ではなく財政政策の範疇に含まれる。中央銀行は国民に直接現金を配布する権限を持ち合わせてはいないのだ(中央銀行に認められているのは資産同士を交換する(例えば準備預金と国債を交換する)ことだけである。このことは量的緩和に関しても当てはまる)。国民に直接現金を配布する場合はその他の財政政策と同様に議会での予算編成プロセスを通じて承認を受ける必要がある。ヘリコプターを操縦して空からお金をばらまくことができるのは中央銀行ではなく政府なのであり、このような行為(「ヘリコプターマネー」)は財政政策と呼ぶべきなのである。

「総需要を刺激する上で『ヘリコプターマネー』はどの程度効果があるだろうか?」という点については論者の間で意見に違いがある――どのような政策であれ大抵はその効果を巡って意見に違いが見られるものだが――。クラウディングアウトがそれほど強く働かなかったり、リカードの中立命題が当てはまらないようであれば――需給ギャップが存在しており金融政策を通じて金利が低く抑えられるようであればそうなる可能性は高い――、あるいは財政赤字を賄う上で低金利で借り入れを行う(国債を発行する)ことができるようであれば――今現在はまさにそのような状況にある――、「ヘリコプターマネー」が総需要を刺激する可能性はかなり高いと言えるだろう。突然の施しを手にした国民はそのうちの一部を貯蓄するだろうがそのほとんどを支出に回すことだろう。単なる量的緩和よりも「ヘリコプターマネー」の方が総需要を刺激する上でより確実な方法だと言えそうである。


量的緩和の一種としての財政ファイナンス

「(財政赤字を賄うために)国債を発行したら金利が上昇してしまうかもしれない」「マーケットが国債を買い取ってくれないかもしれない」といった懸念があるかもしれないが、そのような場合は中央銀行が財政赤字を直接賄うという手段があり得る。中央銀行が直接(新たに発行されたばかりの)国債を買い取り、政府が中央銀行に開設している預金口座(政府預金)にその代金を振り込むのである。このような「財政ファイナンス」は――政府が主導権を握る場合もあるかもしれないが――量的緩和の一種だと言える。

「財政ファイナンス」のコストは一体誰が負担することになるのだろうか? (中央銀行が国債を直接買い取ることで生まれた新たな資金(政府預金)を元にして)政府が国民に対して小切手(「キャッシュ・スプラッシュ」)を配布した(振り出した)場合、最終的にはその小切手は民間銀行部門に持ち込まれ、その結果(民間銀行部門が中央銀行に預け入れる)準備預金が増えることになるだろう。仮にヘリコプターから現金が直接ばらまかれたとしても、その時点で既に国民が手元に十分な(自らが望むだけの)現金を持っていたとすれば、ヘリコプターからばらまかれた現金は民間銀行に預金されることになるだろう。つまりは、最終的には民間銀行部門全体で見て債務(国民が民間銀行に預けている預金)と資産(民間銀行が中央銀行に預けている預金)がともに増えることになるのである。「財政ファイナンス」は民間銀行部門に対してさらなる準備預金の保有を強いることになるわけなのだ。

「財政ファイナンス」は公的な債務を増やすことはないかというとそうではない。「財政ファイナンス」の過程では中央銀行が民間銀行に対して負う債務(準備預金)が増えることになり、その意味でやはり公的な債務は増えることになるのである。また、準備預金に対して市場金利と同水準の金利が支払われる場合(現在大半の中央銀行はそうしている)には(財政赤字の調達に伴う)金利コストが節約されることもない。中央銀行が準備預金に対して支払う金利を市場金利以下の水準に引き下げれば金利コストは節約されることになるが、それは事実上民間銀行(が保有する準備預金)に課税しているようなものである。

「財政ファイナンス」と通常の量的緩和の間には若干の違いもある。まず第一の違いは、通常の量的緩和の場合は中央銀行独自の判断に任される一方で、「財政ファイナンス」の場合は中央銀行と政府との共同決定という性格を帯びる点である。そしてこの違いは「中央銀行の独立性」を巡って一つの課題を提起することになる。政府による乱費(予算の無駄遣い)を牽制する上では政府が財政赤字の補填を要求してきた場合に中央銀行にその要求を撥ねつけ得る(「ノー」と言える)だけの能力があるかどうかが重要な役割を果たすわけだが、「財政ファイナンス」は中央銀行のそのような能力を脅かす可能性があるのだ。そして第二の違いは政策の終了がはっきりしているかどうかという点である。通常の量的緩和に関しては将来のどの時点かで終了を迎えることははっきりしているが、「財政ファイナンス」に関してはその点がはっきりしないのである(民間銀行部門が大量の超過準備の保有を強いられる状況が長続きしないことだけは確かであるが)。

アデール・ターナー卿による(「財政ファイナンス」の一種である)「ヘリコプタードロップ」提案(Turner 2013)(訳注;ターナー卿自身は自らの提案を「ヘリコプタードロップ」と呼んでいるが、内容的にはこの論説で言うところの「ヘリコプターマネー(ヘリコプタードロップ)」ではなく「財政ファイナンス」にあたる)はインフレ警戒論者――貨幣と物価との間の関係について時代遅れの考えを引きずっている人々――や財政規律論者――需給ギャップが存在しているにもかかわらず、「財政刺激策は効果がない」とか「財政刺激策は有害だ」と唱える人々――に対する反駁という意味では成功している。しかしながら、ターナー卿による周到な「財政ファイナンス」提案の是非を論じる際にはその便益だけではなくその弊害――量的緩和ならびに「財政ファイナンス」が民間銀行部門のバランスシートに及ぼす歪み(大量の超過準備の発生)や「中央銀行の独立性」を脅かす可能性――にも同時に目を向ける必要があるのだ。


<参考文献>

●Sinn, Hans-Werner (2011), “The threat to use the printing press”, VoxEU.org, 18 November.
●Turner, Adair (2013), “Debt, Money and Mephistopheles: How do we get out of this mess?”, speech, Cass Business School.

2014年9月25日木曜日

Barry Eichengreen and Peter Temin 「『金の足かせ』と『紙の足かせ』」

Barry Eichengreen and Peter Temin, “Fetters of gold and paper”(VOX, July 30, 2010)

現在(2010年現在)世界経済は固定為替相場制度――具体的には、ドルにペッグした人民元ならびにユーロ――に端を発する緊張に苛まれている最中である。かつての金本位制の経験から得られる教訓が示しているように、国際通貨制度は為替レートを通じて結び付けられているすべての国がそのスムーズな運行に責任を負っているシステムであり、経済収支赤字国だけではなく経常収支黒字国の行動もシステム全体に影響を及ぼすことになる。1930年代と同様に、経常収支黒字国が支出の拡大を渋っているために経常収支赤字国は景気の低迷を余儀なくされている。これはケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓でもあり、ケインズが慢性的な経常収支黒字国に対して(課税や制裁といった)何らかの措置を講じる必要性を訴えた理由もこのような認識があってこそである。あれから60年少々が経過しているわけだが、どうやら我々はケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓を忘れてしまったようである。

「1930年代の教訓」を売り物とするマーケット(アイデア市場)はここにきて続々と新たな参入者を引きつけており、非常に激しい競争が繰り広げられている最中だ(例えば以下を参照せよ。Mason and Mitchener 2010, Fishback 2010, Helbling 2009)。今回我々もその競争の列に加わらせてもらおうと思うが、「金融危機を広い範囲に拡散させる上で固定為替相場制度が果たす役割」と「かつての金本位制の経験から得られる教訓」の2点に焦点を絞って参戦させてもらうことにしよう。

「1930年代における世界経済危機の過程では金本位制が重要な役割を演じた」。このアイデアは我々のどちらもがともに深い関わりを持っているものだ(Temin 1989, Eichengreen 1992)。当時の金本位制が備えていた特徴を列挙すると次のようになるだろう。国境を越えた金の自由な移動、金と自国通貨との交換比率(平価)を一定に固定(それゆえ金本位制を採用している国同士の間での為替レートも一定に固定)、そして国家間の調整を図る(超国家的な)国際機関の不在である。

金本位制が備えていた以上のような特徴は結果的に経常収支赤字国と経常収支黒字国との間に「非対称性」を持ち込む格好となった。金準備の減少が続いて枯渇しかけている(それゆえ平価を維持することが困難な状況に陥っている)国(経常収支赤字国)は一種の罰則の受け入れを余儀なくされた一方で、金準備を溜め込んでいる国(経常収支黒字国)は(金準備を保有する代わりに他の資産に投資していれば得られたであろう金利収入は除いて)罰則を一切受け入れる必要がなかったのである。金準備の減少を食い止めるために経常収支赤字国では通常は平価の切り下げ(為替レートの減価)ではなくデフレ(国内物価の下落)という手段(調整メカニズム)が選択されたのであった。

1920年代を通じて経常収支赤字国であるドイツやイギリスから経常収支黒字国であるアメリカやフランスへ向けて金や外貨準備が大量に移動することになったが、それもこれも当時の金本位制に備わる「非対称性」が原因であった。(アメリカやフランスといった)経常収支黒字国は金準備が増加したからといって金融緩和(ひいてはリフレーション)を強要されることはなく、その一方で(ドイツやイギリスといった)経常収支赤字国は金準備の減少に伴って金融引き締めを余儀なくされ、その結果ますます強まるデフレ圧力に晒される格好となったのである。


イデオロギーとしての金本位制

金本位制は単なる通貨制度(貨幣制度)にとどまる存在ではなかった。金本位制は同時にイデオロギーでもあったのだ。「金本位制の維持は繁栄を実現する上で何にも増して満たされるべき前提条件である」。大恐慌当時の政策決定はそのような世界観に束縛された状態で行われていた。政策の立案にあたっては生産や雇用を安定させることよりも金本位制を維持することが優先された。世のセントラルバンカーたちは金本位制を維持しさえすれば自ずと雇用も増えると信じる一方で、雇用を増やすことに直接焦点を当てた試み(政策)は失敗するに違いないと信じ込んでいた。金本位制が維持されさえすれば、生産の落ち込みも物価の下落も銀行閉鎖に伴う貯蓄(金融資産)の消失も起きるはずがなかった。・・・がしかし、金本位制が維持されていれば起きるはずのない出来事が1930年代の初頭に実際に起きてしまったのである。

予想と現実との大きな食い違い(訳注;金本位制が維持されていれば起きるはずのない出来事が現実に起こってしまったということ)を前にして、どうにかしてその辻褄を合わせる必要性が生まれることになった。起きるはずのない異常事態を慣れ親しんだ言語で無理矢理にでも解釈する必要に迫られることになったのである。危機が深まる中、批判の矛先は「金本位心性」(gold-standard mentalité)に反逆した政策当局者に向けられた。FRBやイングランド銀行が「管理通貨」という名の誘惑に負けたのが悪いのだ。金本位制のルールを守らずに、貨幣の濫発に手を染めるばかりか金の不胎化に乗り出す始末。FRBやイングランド銀行が金本位制のルールを守ってさえいれば、金融市場は自然と安定する方向に向かい、それにあわせて価格やコストの調整もスムーズに進んだはずなのに…。

しかしながら、デフレに晒された当時の状況においてはそのような問題の理解の仕方はまったくの間違いだったのだ。

21世紀の現代において金本位制に類似した仕組みを探すと、ユーロと(ドルにペッグした)人民元がそれに該当することになろう。金本位制とユーロは完全に同じものだとまでは言えないが、両者の間にはいくつか似た側面が存在していることは確かである(金本位制と(ドルにペッグした)人民元との関係についても同じことが言える)。


ユーロ:金本位制よりも厳しいコミットメントを伴う通貨制度

ユーロは金本位制よりもずっと厳しいコミットメントを伴う通貨制度である。というのも、金本位制の場合は危機の発生時に投資家の怒りを買うことなしにそこから離脱し得たわけだが、ユーロの場合は――ギリシャに対してユーロから一時的に離脱することを勧める提案(Feldstein 2010)もあるようだが――そのようなことは不可能(訳注;投資家の怒りを買うことなしにユーロから一時的に離脱することはできないという意味。言い換えると、特定の国がユーロから一時的に離脱することを選んだ場合、それに伴って金融危機が発生する可能性が高いということ)だからである(Eichengreen 2007, Blejer and Levy-Yeyatia 2010)。

ユーロは金本位制だけではなくブレトンウッズ体制の後を継ぐものでもあるという事実は見逃せない。とは言っても、ブレトンウッズ体制それ自体が重要な意味を持つというよりはブレトンウッズ体制を生み出すに至った交渉の中身にこそ重要な意味が控えている。ケインズもその交渉に参加した一人だが、ケインズは戦間期の経済情勢の観察を通じて金本位制の有害な影響に次第に気付き始め、やがて次のような結論を導くに至ったのであった。既にデフレが定着しているような状況において金準備の減少に直面している国がさらにデフレの受け入れを選ぶことはその国にとってだけではなく周辺の国々にとっても有害である、と。

戦後(第二次世界大戦後)の世界において二度とそのような事態が起きないようにするためにはどうしたらいいだろうか? 経常収支赤字国だけではなく経常収支黒字国も(国際収支の)不均衡を是正する義務を引き受けるべきだ。ケインズはそう考えた。しかしながら、そのような線に沿ったケインズの提案(「清算同盟案」)はイギリスとアメリカの意見対立のために現実のものとなるには至らなかった。こうしてこの問題は未解決のままに取り残される格好となったわけだが、未解決だからといってもうその問題のことは忘れてしまってもよいということには当然ならない。


人民元:イデオロギーとしてのドルペッグ制

もう一つの重要な(固定)為替制度である「ドルにペッグした人民元」は中国の開発戦略を支えるイデオロギーの中心的な要素の一つだと理解するのが最も適当だろう。中国の開発戦略の中においてドルペッグ制(ドルにペッグした人民元)には次の3つの役割が委ねられている。

  • 製造業の輸出促進
  • 海外から中国国内への直接投資の促進
  • 中国企業の利益(ひいては内部留保)の蓄積を促すことでインフラ投資に振り向けることができる貯蓄の源泉を拡大する

固定為替レートを通じて結び付けられている国同士の間では一方の国の政策が他方の国へも影響を及ぼすことになるわけだが、その可能性については当事者の間でもうっすらと気付かれてはいるようである。しかしながら、その問題に対処するために実際に何らかの行動を採ろうという気はほとんどないようだ――1920年代の状況とそっくりである――。2006年にIMF(国際通貨基金)が多国間協議の場を用意(pdf)してそれぞれの国の政策が国境を越えて他の国々に対しても影響を及ぼす可能性を考慮に入れるように念押しした。アメリカと中国は米中戦略・経済対話の場を通じて毎年会合を開いている。IMFは定期的に多国間サーベイランスを実施している。しかしながら、そのような一連の試みにもかかわらず(二国間での通貨政策の面で)重大な政策変更がなされるには至っていないのだ。

「経常収支赤字国――金本位制下におけるドイツ、ユーロ圏におけるギリシャ、グローバル・インバランス(訳注;近年における世界的な経常収支不均衡のこと)の下でのアメリカ――に手を差し伸べて何とか窮地から救い出してやらねばならない」ということが言いたいわけではない。いずれの三国(ドイツ、ギリシャ、アメリカ)も予算制約に直面している事実を認めたがろうとしていないという点で共通している。三国はいずれも収入以上の生活をしており(訳注;収入を上回る支出を行っており)、そのために予算の赤字と経常収支の赤字が発生し、その赤字を海外からの借り入れで賄っている状態なのだ。

しかしながら、経常収支赤字国が抱える問題はあくまでコインの片面でしかない。コインのもう一方の面である経常収支黒字国の政策もまた問題を抱えているのだ。1920年代~1930年代初頭においてドイツをはじめとした中央ヨーロッパ諸国を襲った困難はアメリカとフランスによる金の不胎化によって大きく増幅されることになった。アメリカとフランスが大幅な経常黒字を計上したとなれば、他のいずれかの国が経常赤字を計上しなければならないというのは理の当然だ。アメリカとフランスが支出の拡大を拒否したとなれば、他の国々は支出を切り詰めざるを得ないというのも(当時の金本位制の下では)自然な成り行きだった。それに加えて、アメリカやフランスは経常収支赤字国への緊急資金援助を拒み、そのために経常収支赤字国はなお一層の景気低迷に見舞われることになったのである。その結果、政治の世界で何とも悲惨な結果がもたらされることになったのであった。

似たような展開が目下進行中である。大幅な経常黒字を計上しているドイツが支出の拡大に難色を示しているために、そのドイツと貿易面で深くつながっているギリシャはデフレを選ぶしかない状況に置かれているのだ。資金繰りに苦しむギリシャが政府支出の(対GDP比で10%にも上るほどの)大幅な切り詰めを短期間で実現できるかどうかははっきり言ってわからない。しかし、現在ギリシャが抱えている問題は1930年代初頭にドイツが抱えていた問題と似ているということは言えるだろう。1930年代初頭のドイツがそうだったように、現在のギリシャは(賃金をはじめとした)コストの削減に向けた努力が債務の負担を一層重くする結果にしかならない状況に置かれているのだ。


1931年のフーヴァー・モラトリアムの再現はあるのか?

1931年にあのフーヴァー米大統領さえもがドイツに対して債務の支払い猶予(モラトリアム)を認めざるを得なかった理由もそこのところ(訳注;(賃金をはじめとした)コストの削減に向けた努力が債務の負担を一層重くする結果に終わったこと)にあったのであり、「内的減価」(訳注;デフレを通じた実質為替レートの減価)――ギリシャが通貨の切り下げを実現する上で唯一利用可能な手段――には債務の再編が伴う必要があるのもそこのところ(訳注;(賃金をはじめとした)コストの削減に向けた努力は債務の負担を一層重くする結果にしか終わらないところ)にあるのだ。フーヴァー・モラトリアムの実現にはアメリカによる政策変更が必要であったように、ギリシャの債務再編に漕ぎ着けるためにはEUとIMFによる方向転換が必要とされることだろう。

それと同様に、中国をはじめとしたその他の国々が支出の拡大に難色を示し、ドルに対して自国通貨が切り上がることに抵抗するならば、アメリカ国内での雇用を増やすために残された手段は輸出品の競争力を高めることにしかないということになる。オバマ大統領は今後5年間で輸出量を2倍にすることを目標に掲げたが、輸出を通じて(アメリカ国内での)完全雇用を実現するためにはその程度の目標が必要と考えてのことだ。しかしながら、(アジア諸国が支出を増やすか、名目為替レートの増価を受け入れるか、あるいは高めのインフレを許容するかして)実質為替レートの調整がアメリカに有利な方向に進まない限りは、その目標を達成するためには国内の(賃金をはじめとした)コストを削減し、大幅に生産性を高めるしかない。そのような努力も甲斐なしということになれば保護主義に向けた反動が生じかねないことだろう。


結論

結論をまとめるということだ。国際通貨制度というのは為替レートを通じて結び付けられているすべての国がそのスムーズな運行に責任を負っているシステムであると言える。経済収支赤字国だけではなく経常収支黒字国の行動もシステム全体に影響を及ぼす。それゆえ、経常収支赤字国だけに不均衡を是正(調整)するすべての責任を押し付けるわけにはいかないのだ。

これはケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓でもある。ケインズが第二次世界大戦中に考案した「清算同盟案」の中で慢性的な経常収支黒字国に対して(課税や制裁といった)何らかの措置を講じる必要性を訴えた理由もこのような認識があってこそである。あれから60年少々が経過しているわけだが、どうやら我々はケインズが大恐慌の経験から導き出した教訓を忘れてしまったようである。


<参考文献>

●Blejer, Mario I and Eduardo Levy-Yeyati (2010), “Leaving the euro: What’s in the box?”, VoxEU.org, 21 July.
●Eichengreen, Barry (1992), Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919-1939, Oxford University Press.
●Eichengreen, Barry (2007), “The euro: love it or leave it?”, VoxEU.org, 17 November.
●Fishback, Price (2010), “US monetary and fiscal policy in the 1930s – and now”, VoxEU.org, 30 April.
●Feldstein, Martin (2010), “Let Greece Take a Euro-Holiday,” Financial Times, 16 February, www.ft.com.
●Helbling, Thomas (2009), “How similar is the current crisis to the Great Depression?”, VoxEU.org, 29 April.
●Mason, Joseph and Kris James Mitchener (2010), “Exit strategies for central banks: Lessons from the 1930s”, VoxEU.org, 15 June.
●Temin, Peter (1989), Lessons from the Great Depression(邦訳 『大恐慌の教訓』), MIT Press.


<訳者による補足>

この論説は以下の論文の縮約版である。もっと細かい内容まで知りたいという場合は当該論文を参照されたい。 

●Barry Eichengreen and Peter Temin, “Fetters of Gold and Paper”(NBER Working Paper No. 16202, July 2010;Oxford Review of Economic Policy誌に掲載されたバージョンはこちら

2014年9月19日金曜日

Z. G. 「経済学者は世論に影響を及ぼせるのか?」

Z. G., “Economics for the masses”(Free exchange, August 20, 2014) 

これまで経済学者は堅苦しい存在として捉えられがちだった。しかしながら、ここ最近になって経済学者は自らのことを俗世間での露出にも耐え得る存在として売り出し始めている。データジャーナリズムの隆盛も一因となって「陰鬱な科学」の専門家たちが続々と公共圏へと足を踏み入れてきているのである。しかしながら、経済学者の意見と世間一般の意見(世論)との間にはしばしば大きなギャップが存在している。果たして経済学者は世間一般の人々のハートを掴み、世論を変えることができるのだろうか? それとも経済学者の意見は世間一般の人々の既存の信念(訳注;各人が前々から正しいと信じ込んでいること)を正当化したり補強するために利用されているに過ぎないのだろうか?

デューク大学に在籍する政治学者らが共同で執筆した新たな論文(*)によると、経済学者は世論に影響を及ぼす力を持っているという。しかしながら、それはあくまでテクニカルな話題に限られるということだ。政治的にホットな話題(訳注;政治の場で論争の的となるような話題)については経済学者は世論に対してそれほど影響を及ぼすことができないというのだ。この論文では、世間一般の人々が経済学者という存在に対してどのようなイメージを抱いているか――信頼できるかどうか――を聞き取り調査を通じて明らかにするとともに、経済学者の間でコンセンサスが得られている政策問題(例えば、移民の受け入れ金本位制への移行の是非など)について世間一般の人々がどのような意見を持っているかが調査されている。そして世間一般の人々が「専門家のコンセンサス」に触れた結果として自分の意見を変えるかどうか、経済学者に対するイメージを見直すかどうかが検証されている。

さて、その結果やいかに? まずは悪い報せから取り上げることにしよう。経済学者の間でコンセンサスが得られている問題について意見を尋ねたところ、聞き取り調査に回答した(世間一般の)人々のうち――「わからない」と答えた人は除く――大多数はいずれの問題についても経済学者とは異なる意見を述べた。さらには、回答者のうちわずか59%だけが「経済政策」に関わる経済学者の意見を信頼すると答えた。それもその大半は「少しだけ信頼する」というに過ぎなかった。経済学者に対する不信の程度はどの属性のグループの間でも大体似たようなものだったが、そのような中でも経済学者を信頼すると答える可能性が特に低かったのは政治的に右寄りの回答者だったという。

しかしながら、良い報せもあるにはある。回答者がそれぞれの問題について自らの意見を述べた後に「専門家のコンセンサス」を伝えられると、多くの回答者は自らの意見を変えて「専門家のコンセンサス」に同意する傾向が見られた。しかしながら、その効果の大きさは問題の性質によって違っていた。 金本位制への移行の是非や今後の税収予測といったテクニカルな問題については回答者の多くは「専門家のコンセンサス」を知るや(直前の自らの意見を変えて)それに同意する傾向にあったが、中国との貿易問題や移民のメリットといった政治的にホットな問題については「専門家のコンセンサス」が世論を揺さぶる力(訳注;世間一般の人々の意見を変える力)は弱々しいものであった。そればかりではない。政治的にホットな問題について自分の意見が「専門家のコンセンサス」とは違うことを知るや、回答者たちの経済学者に対する信頼の程度は大きく低下することになったのである。テクニカルな問題についてはそのような結果は観察されなかった。テクニカルな問題については自分の意見と「専門家のコンセンサス」が違うことを知っても回答者たちの経済学者に対する信頼の程度は影響を受けなかったのである。感情に訴えるような(政治的にホットな)話題については世間一般の人々は経済学者の意見を自らの偏見(あるいは既存の信念)にお墨付きを与える手段として利用しており、そのような手段として利用できないと知るや「経済学者なんて信頼できない」との判断に傾く。そういう次第になっているのかもしれない。

経済学者が公共政策に影響を及ぼす――そして望むらくは改善する――ためには世論を納得させることが極めて重要である。そうする上ではどのようなアドバイスを送るのが適当だろうか? テクニカルな話題にだけ口を挟むというのは有益でもないし、有望であるようにも思えない。その性質上どうしても政治的にホットになりがちな問題であっても経済学者が有益なアドバイスを送ることのできる問題は数多いのだ。しかしながら、そういった政治的にホットな問題に口を挟む際にもやり方によってはアドバイスの効果を高めることができるかもしれない。例えば、「移民を受け入れよ!」と結論だけを述べるのではなく、移民の受け入れに伴う便益を計測してその結果を前面に出して伝える・・・といったようにあえてテクニカルな語り口で語りかけるようにすれば、経済学者のアドバイスが世間から聞き入れられる可能性も高まるかもしれない。


*“Economists and Public Opinion: Expert Consensus and Economic Policy Judgments” Christopher D. Johnston, Andrew O. Ballard. Working paper

Douglas Irwin 「大恐慌の原因はフランスにもあり?」

Douglas Irwin, “Did France cause the Great Depression?”(VOX,  September 20, 2010)

大恐慌(Great Depression)に関する専門的な研究の多くは大恐慌の深刻さを金本位制と結び付けて論じる傾向にある。これまで経済史家は大恐慌の引き金となった原因としてアメリカによる金融引き締めに着目してきたが、大恐慌の過程でフランスが果たした役割に対しては十分な注目が払われていない。世界全体に存在する金準備のうちフランスが保有する割合は1926年の時点では7%だったが、1932年の時点では27%にまで上昇を見せることになったのである。1930~31年の間に世界全体で物価は30%下落することになったが、そのうちおよそ半分はフランスとアメリカによる大量の金の保蔵(溜め込み)によって説明できる可能性があるのだ。

1930年代に発生した大恐慌(Great Depression)に関する経済学の専門的な研究の多くは、当時の景気後退の長さとその深刻さを金本位制と結び付けて論じる傾向にある。金本位制を採用していた国では為替レートが固定されることになり、そのため危機に対処するために金融政策を自由に運営することができなかったというわけである(詳しくはTemin(1989)やEichengreen(1992)、Bernanke(1995)などを参照のこと)。

しかしながら、1929年から1933年までの期間に金本位制がどうしてあれほどまでのデフレーションを世界規模で引き起こすことになったのかその理由についてははっきりしない面もある。というのも、1920年代から1930年代を通じて世界全体での金準備の量は着実に増え続けていたのである。どうして金本位制は自壊したのか? どうして金本位制はあれほどまでの大激震を世界経済にもたらすことになったのだろうか?


大恐慌に関する標準的な説明

1930年代の大惨事を説明しようと試みる中でこれまで経済史家は中央銀行が採用した政策に着目してきた。大恐慌の起源を巡る標準的な説明によると、1928年初頭にアメリカで実施された金融引き締めこそが大恐慌の引き金となった原因だと語られる傾向にある(Friedman and Schwartz 1963, Hamilton 1987)。1928年初頭にFRBが金利を引き上げたことで他の国々からアメリカへと金が流入することになったが、FRBはそれにあわせて売りオペを行い金の流入を不胎化した。そのためアメリカでは金の流入にもかかわらずマネタリーベースは増えることはなく、その一方で金の流出に見舞われた国々は金融引き締めを余儀なくされることになった。こうして世界経済はデフレショックに見舞われることになり、その影響で通貨危機や銀行パニックが引き起こされ、さらにそれが原因となって物価の下方スパイラルに一層の拍車がかかる格好となった・・・というわけである。


新たな仮説

しかしながら、そのような(大恐慌に関する)標準的な説明においてはしばしば次の事実が見過ごされている。フランスもアメリカと非常に似通った行動に乗り出していたという事実がそれである。実のところ、フランスはアメリカを上回るスピードで金準備を溜め込むとともにそれ(自国に流入してきた金)を不胎化していたのである(詳しくはJohnson(1997)およびMouré(2002)を参照のこと)。1926年にフランが切り下げられたことも一因となって大量の金がフランスに流入し始めることになるが、その結果フランス銀行が保有する金準備の量は急速な勢いで増大し始めることになった。 以下の図1に示されているように、世界全体の金準備のうちフランスが保有する割合は1926年の時点では7%に過ぎなかったが、1932年には27%にまで上昇することになったのである。

図 1. 世界全体の金準備に占める各国のシェア(アメリカ(青)、フランス(赤)、イギリス(緑))



このようにしてフランスやアメリカに金準備が集中した結果、それ以外の国々は大きなデフレ圧力に晒されることになった。1929年から1931年までの間に(アメリカとフランスを除く)それ以外の国々は世界全体の金準備のうち8%相当を手放す格好となったわけだが、1928年12月の時点で(アメリカとフランスを除く)それ以外の国々が保有する(世界全体の金準備に占める)金準備の割合は15%だったことを考えると、そのほとんどを手放すことになったわけである。しかしながら、アメリカとフランスが金の流入を不胎化することがなければこのような(フランスとアメリカへの)金準備の集中も世界経済にとって問題とはならなかったことだろう。アメリカとフランスが金の流入を不胎化しなければ、金の流出に見舞われた国々が金融引き締めを余儀なくされるのと引き換えに、アメリカとフランスでは金の流入に伴って金融緩和が進められることになる。すべての国が古典的な金本位制の「ゲームのルール」に従って行動する場合は当然そうなるはずであったが、戦間期の金本位制においてはすべての国が同意する「ゲームのルール」は確立しておらず、フランスもアメリカもともに金の流入が金融緩和につながらないように金の流入を不胎化していたのである。

フランスによる(金の流入の)不胎化の実態は以下の図2の正貨準備率の推移に表れている。正貨準備率というのは中央銀行債務(銀行券発行残高+当座預金残高)に対する金準備の割合を指しているが、ここでもフランスが辿った進路は他の国と比べて際立っている。フランス銀行の正貨準備率は1928年12月の時点では40%だったが(法律では正貨準備率は最低で35%を満たすよう定められていた)、1932年12月の段階では80%近くにまで上昇しているのだ。1928年から1932年までの間にフランスの金準備は160%も増加したものの、その一方でマネーサプライ(M2)はまったくと言っていいほど変化しなかった。当時の人々の中にはフランスを指して「金の溜池(金の吸引機)」(“gold sink”)と呼ぶ声もあったというが、それももっともなことだと言えるだろう。

図 2. 主要中央銀行の正貨準備率(1928年~1932年)




アメリカとフランス(による金融政策)が世界経済に及ぼしたデフレ圧力はどの程度か?

1928年を基準年として選んだ場合、(不胎化されたことで)未利用のままに置かれている(訳注;金融緩和のために使用可能ではあるが、使用されずにいる)金の量を次のようにして求めることができるだろう。その年(例.1931年)に実際に中央銀行が保有していた金準備の量からその年(例.1931年)の中央銀行債務(マネタリーベース)に1928年時点の正貨準備率を掛け合わせたもの(訳注;その年(例.1931年)の中央銀行債務(マネタリーベース)×1928年時点の正貨準備率=1928年の時点と同じ正貨準備率を維持する上で必要となる金準備の量)を差し引くのである。そのようにして計算された「未利用の金の量」をグラフにしたのが以下の図3であり、世界全体の金ストック(残高)に対する割合として表わされている。

1930年の時点ではアメリカとフランスは両国合わせて世界全体の金ストックのおよそ60%を保有していたわけだが、その同じ年に両国を合わせると世界全体の金ストックの11%を未利用のままに置いていたことになる。1929年と1930年に関してはアメリカとフランスは(金の流入を不胎化し、金を未利用のままに置いておくことで)世界経済に対して同等のデフレ圧力を及ぼしたと考えられるが、1931年と1932年に関してはフランスの方がアメリカよりもずっと大きなデフレ圧力を世界経済に及ぼすことになったと考えられる。そして1928年から1932年までの期間全体で判断すると、フランスはアメリカを上回るデフレ圧力を世界経済に及ぼすことになったということになる。仮に1928年と同じ正貨準備率を維持するつもりであれば、フランスは世界全体の金ストックの13.7%に相当する金を元手に更なる金融緩和に乗り出し得たのであり、アメリカは世界全体の金ストックの11.7%に相当する金を元手に更なる金融緩和に乗り出すことが可能だったのだ。

図 3. 未利用の金の量(1929年~1932年)



物価に及ぼした影響

1752年にデイヴィッド・ヒュームは「貨幣について」(“Of Money”)と題されたエッセイの中で次のように語っている。「硬貨(貨幣)がたんすの中にしまい込まれると、その結果として価格には硬貨がこの世から消滅した場合と同様の効果が生じることになる」。さて、アメリカとフランスが金を未利用のままに置いていたことで世界全体の物価水準にはどのような影響が生じただろうか? 私自身がつい最近行った研究結果によると(Irwin 2010)、世界全体の金ストックが1%だけ増えると世界全体の物価水準は1.5%だけ上昇するとの関係が成り立つことが確認されている。アメリカとフランスを合わせると(1930年の時点では)世界全体の金準備のうち11%が未利用のままに置かれていた(訳注;世界全体の金ストックが11%だけ減少した)格好となるわけであり、それゆえ先の関係に当てはめると世界全体の物価水準をおよそ16%下落させる効果を持ったということになる(訳注;世界全体の金ストックが1%だけ増えると世界全体の物価水準は1.5%だけ上昇するという関係が成り立つとすると、世界全体の金ストックが11%だけ減少した場合は世界全体の物価水準はおよそ16%(=(-11)×1.5)だけ下落するということになる)。1930~31年の間に世界全体で物価は30%下落したわけだが、この単純な計算結果に従うとそのうち(30%のうち)のおよそ半分はFRBとフランス銀行による金融政策によって引き起こされたと結論付けられることになろう(Sumner(1991)は異なる計算手法を通じて同様の結論に達している)。

いったんデフレスパイラルに向けて事態が動き出すと、他の要因が関与してきて物価の下方スパイラルに一層の拍車がかかることになるというのは確かである。例えば、アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)が指摘したデット・デフレ(債務デフレ)のメカニズムを通じて破産が増え、その結果として銀行の倒産が発生すると(銀行取付などを通じて預金の引き出しが増える結果)現金預金比率が上昇することで貨幣乗数が低下する可能性がある。しかしながら、そういった出来事は当初のデフレショックから独立して発生したものとは見なし得ず、それゆえ物価下落のうち「説明されずに残っている」部分(訳注;30%の物価下落のうち残りの14%(=30-16))についてもその一部はFRBとフランス銀行が間接的に責任を負っていると言えるだろう。

まとめることにしよう。これまで経済史家は大恐慌の引き金となった原因として1928年初頭にアメリカで実施された金融引き締めに着目してきた。しかしながら、世界全体をデフレスパイラルに陥れた元凶ということで言うとフランスが果たした役割にもこれまで以上にずっと大きな注目が払われてしかるべきなのだ。


<参考文献>

●Bernanke, Ben (1995), “The Macroeconomics of the Great Depression: A Comparative Approach(pdf)”, Journal of Money, Credit and Banking, 27:1-28.
●Eichengreen, Barry (1992), Golden Fetters: The Gold Standard and the Great Depression, 1919-1939, Oxford University Press.
●Friedman, Milton, and Anna J Schwartz (1963), A Monetary History of the US, 1867-1960, Princeton University Press.
●Hamilton, James (1987), “Monetary Factors in the Great Depression”, Journal of Monetary Economics, 19:145-169.
●Irwin, Douglas A (2010), “Did France Cause the Great Depression?”, NBER Working Paper 16350.
●Johnson, H Clark (1997), Gold, France, and the Great Depression, 1919-1932Yale University Press.
●Mouré, Kenneth (2002), The Gold Standard Illusion: France, the Bank of France, and the International Gold Standard, 1914-1939, Oxford University Press.
●Sumner, Scott (1991), “The Equilibrium Approach to Discretionary Monetary Policy under an International Gold Standard, 1926-1932”, The Manchester School of Economic & Social Studies, 59:378-94.
●Temin, Peter (1989), Lessons from the Great Depression(邦訳 『大恐慌の教訓』), MIT Press.