2016年5月31日火曜日

Martin Ravallion 「『貧困への目覚め』 ~過去3世紀の間に『貧困』に対する注目はどのような変遷を辿ってきたか?~」

●Martin Ravallion, “Poverty Enlightenment: Awareness of poverty over three centuries”(VOX, February 14, 2011)

世間一般の人々が「貧困」に注目し出してからどれくらいの期間が経っているのだろうか? 1700年以降に出版された書籍の中で「貧困」という単語がどれだけの頻度で使用されているかを調査した結果、次のような事実が明らかになった。1740年から1790年までの間に「貧困」という単語への言及頻度は急増を見せたものの――一度目の『貧困への目覚め』の時代の到来――、19世紀から20世紀の半ばにかけて貧困への注目は徐々に薄らいでいった。しかし、1960年頃を境として、二度目の『貧困への目覚め』の時代が到来するに至っており、「貧困」への注目は今現在も高まり続けている最中である。

 

貧困に対する世間一般の注目は、これまでにないほどの高まりを見せていると言えるかもしれない。例えば、以下の図1をご覧いただきたい。この図はGoogle Books Ngram Viewerの助けを借りて作成されたものだが、「貧困」(“poverty”)という単語が1700年から2000年までの間に出版された書籍の中でどれだけの頻度で使用されているかを調べた結果を表わしている――縦軸に示されているのが頻度の移動平均(その年に出版されたすべての書籍に含まれる総単語数で標準化したもの)――〔原注;Google Books Ngram Viewerは、Michel et al.(2010)によって開発された。デジタル化した上でデータとして保存されている書籍の総数は520万冊、単語の数は5000億ワードを超えている。Google Books Ngram Viewerの長短についてはRavallion(2011)を参照されたい〕。この図によると、1740年から1790年までの間に「貧困」という単語への言及頻度が7倍に増えていることがわかる。この時期は、啓蒙主義の時代が終わりを迎えようとしている頃――フランスとアメリカで革命(フランス革命とアメリカ独立戦争)が発生した時期――にあたるわけだが、貧困に対する注目が急速な勢いで高まりを見せた「貧困への目覚め」(“Poverty Enlightenment”)の時代としても特徴付けることができるわけだ。その後の19世紀から20世紀の半ばにかけて、貧困に対する注目は衰えを見せることになるが、1960年頃を境として二度目の「貧困への目覚め」の時代(second Poverty Enlightenment)に突入することになる。1960年頃を境として、突如として貧困への注目が再燃し、「貧困」という単語への言及頻度が(データが利用できる最新の年である)2000年の時点でこれまでのピークに達しているのだ。










図1. 「貧困」という単語への言及頻度 (1700年から2000年までの間に出版された英語圏の書籍が対象)


2度にわたる「貧困への目覚め」の時代の背後では、どのような事態が進行していた(いる)のだろうか? つい最近の論文(Ravallion 2011)で、驚くべき速さで単語をカウントする能力を備えたGoogle Books Ngram Viewerの助力を得つつ、過去のテキストの読解――私自身の能力の制約もあって、だいぶ時間を要したが――を通じて、私なりにこの問いへの答えを探ってみた。その結果の一部を以下で報告することにしよう。

一度目の「貧困への目覚め」

サミュエル・フライシャッカー(Samuel Fleischacker)が2004年に公にした著作(Fleischacker 2004)では、分配的正義(distributive justice)というアイデアの歴史がものの見事に跡付けられているが、その中(pp.7)では次のように語られている。前近代の時代においては「貧困層は、ひどい欠点を抱えた無価値な存在と見なされていた」。例えば、ロバート・モス(Robert Moss)は、18世紀初頭にこう述べている。貧乏人は「自らが置かれている状況に満足すべきである。というのは、貧乏人がかくのごとくであるのは、神の望むところだからだ」。また、フランスの医師でありモラリストでもあったフィリップ・エッケ(Philippe Hecquet)は、1740年に次のように書いている。「貧乏人は、絵の中の影のようなものである。なくてはならないコントラストの役割を果たしているのだ」。「どうして貧困が発生するのか?」という問いに対する答えとしては「神の意志」が持ち出されるか、一人ひとりが抱える私的な問題――怠惰をはじめとした性格面での欠点――に目が向けられがちだった。飢え(空腹)は好ましいことだという意見さえあった。空腹だからこそ(空腹を満たしたいと思うからこそ)、貧乏人は働く気になるというのだ。

18世紀後半に入ると、特にフランスにおいて、従来の社会的な階級構造を疑問視する声が次第に上がり始めるようになる。ピエール・ド・ボーマルシェ(Pierre Baumarchais)が1784年に書いた戯曲『フィガロの結婚』がそのいい例だが、パリの聴衆たちは、召使のフィガロの側について貴族を嘲笑したのだった。フランスで芽生え始めた平等主義の精神は、やがてイギリス海峡を渡ることになるが、頑(かたく)なな抵抗に遭うケースもしばしばだった。例えば、イギリスにおける近代警察の生みの親であるパトリック・カフーン(Patrick Colquhoun)は、1806年にこう書いている。貧困は「社会を成り立たせる上で、最も必要で欠かせない要素である。貧困と無縁な国家や共同体は、文明の地位に辿り着くことはできない」。

貧困というのは、自然的秩序の表れ(自然法則の帰結)ではなく、政治・経済的な現象であるとの認識が広まるにつれて、一度目の「貧困への目覚め」の時代が到来し、貧困層自身も貧困からの脱出を意識し始めるようになる。しかしながら、書籍の上では依然として「貧困は、多かれ少なかれ避けることのできない(受け入れざるを得ない)この世の現実である」との見方が支配的であり、それは18世紀~19世紀の経済学の世界でも同様だった。当時の経済学者の中には、貧困は経済が発展する上で必須の条件と見なす者もいた。そのような経済学者も、実質賃金が上昇すれば貧困の削減につながることは否定しなかったものの、実質賃金が上昇すると富の蓄積が妨げられることになるかもしれないと懸念したのだった。実質賃金が高まれば、労働の供給が減るばかりか、輸出面での競争で不利な立場に立たされ、さらには労働者が贅沢品に夢中になって(仕事に身が入らずに)労働の質が低下するかもしれないというのである――輸出面での競争で不利な立場に立たされると、富の蓄積が妨げられることになるとの発想の背後には、重商主義的な世界観が控えていた――。また、トマス・マルサスが、生態学的な危機の到来を予測し、人口の増加は貧困と飢饉(食糧不足)によってしか食い止められないと語ったことも有名である。社会進歩の可能性についてマルサスよりもずっと楽観的だったアダム・スミスも、経済発展(経済成長)の果実が社会各層に公平に行き渡る(分配される)可能性についてはそれほど大きな望みを抱いていなかった。スミスは、こう語っている(Smith 1776, pp.232)。「大いに繁栄している地域においてはどこであれ、格差もまた大きいものだ。1人の大金持ちに対して貧乏人が少なくとも500人はいるのが通例であり、少数の豊かさには多数の貧しさが伴っているのだ」。

二度目の「貧困への目覚め」

現代的な意味での「分配的正義」の発想――「社会に生きるすべての人に最低限度の生活水準が保障されるべきである」との発想――が(粗いかたちではあれ)その姿を表わしたのは、18世紀後半の西欧世界においてだったが、その後の170年間を通じてこの発想は世間から徐々に忘れ去られることになる。とは言え、学術的な文献に目を向けると、その微(かす)かな命脈を確認することができる。19世紀から20世紀への転換期において、経済学者のアルフレッド・マーシャルは、『経済学原理』(1890)の巻頭(pp.2)で次のように問い掛けている。「貧困はこの世にとって必要なものだとする発想は、過去の遺物ではなかったのか?」

しかしながら、世間の注目が再び貧困に向けられ、現代的な意味での「分配的正義」の発想に広い支持が寄せられるまでには、1960年代に入って二度目の「貧困への目覚め」の時代が到来するのを待たねばならなかった。その中心的な舞台となったのは、アメリカである。物質的な豊かさを享受していた20世紀中頃のアメリカで――公民権運動の盛り上がりに次ぐかたちで――、貧困が「再発見」されるに至ったのである。そのような動きを後押しする上で大きな役割を果たしたのが、当時の論壇を賑わせたJ・K・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith)の『ゆたかな社会』(1958)や、マイケル・ハリントン(Michael Harrington)の『もう一つのアメリカ』(1962)――どちらも当時ベストセラーになった――といった一連の著作だった。政府もこのような世間の風潮に反応し、「貧困との戦い」(War on Poverty)を旗印にしたリンドン・ジョンソン政権下で、貧困家庭に対する支援をはじめとした数々の社会プログラムが導入されることになったのである。

ガルブレイスやハリントンらの著作が大きな影響を持ち得た理由の一つは、著作が発表されたタイミングが時宜(じぎ)を得ていたからというのもあるだろう。1950年代~1960年代のアメリカでは、国民の大多数が豊かな生活を手に入れることになったが、それゆえにこそ、貧困という問題を見過ごして平然としていることがますます難しくなっていったのである。それに加えて、当時は楽観的な雰囲気が充満しており、貧困の削減に向けた政策の効果についても同様に楽観的に捉えられていた。しかしながら、1980年代に入ると、右派の側から反撃の狼煙(のろし)が上げられ――チャールズ・マレー(Charles Murray)の『Losing Ground』(1984)がその代表――、その勢いは1990年代における一連の福祉改革(社会保障制度の改革)へとつながることになる。「貧困との戦い」(“War on Poverty”)が宣言されたと思いきや、その30年後に「福祉との戦い(福祉政策の縮小に向けた戦い)」(“War on Welfare”)が宣言されるに至ったわけだ。貧困の問題についてはその原因や適切な政策対応を巡って現在でも世界中で議論が続いているが、その多く――例えば、貧しさの原因のどの程度がその人(貧困層)自身にあると言えるのかといった問題を巡る論争――は、200年前(一番目の「貧困への目覚め」の時代)の論争の焼き直しという面を強く持っている。

20世紀後半に入って貧困に対する世間一般の注目が再び高まりを見せている理由は、他にもある。そのうちの一つは、発展途上国の広い範囲で厳しい貧困状態が蔓延(はびこ)っている事実が徐々に世界中の人々の目に留まり始めたことである。そのような気運が醸成されたのは1970年代に入ってからのことだが、開発政策の専門家に強い影響を及ぼしたのが、世界銀行が1990年に刊行した『世界開発報告』(World Development Report)である。それ以降、世界銀行は「貧困のない世界」(“world free of poverty”)の実現を最重要目標に掲げ、専門家の間で貧困問題に関する実証研究が活発に行われるようになったのである。

貧困と政策:貧困の削減に向けて

過去3世紀の間に、貧困に対する世間の見方は大きなシフトを見せた。貧困の現実を現状肯定的に受け入れたり、貧困層を軽蔑しさえする態度が支配的な時代もあったが、今現在はそうではない。社会や経済ないしは政府の成績(善し悪し)は、貧困の削減にどの程度成功しているかによって少なくとも部分的には評価すべきだというのが現在の支配的な見方である。このようなシフトが生じた理由としては、いくつか考えられるだろう。世界経済が全般的に豊かになったことで、貧困という問題を見過ごして平然としていることがますます難しくなったという事情もあるだろうし、民主主義の広がりによって貧困層の声が政治に反映されやすくなったという事情もあるだろう。貧困に関する研究の進展に伴って、効果的な政策対応を可能とする知識の蓄積が進んだということもあろう。

過去3世紀の間には、(貧困の削減に向けた政府介入の有効性をはじめとして)市場と政府の役割に対する態度の面でも大きなシフトが生じた。第二次世界大戦後の(Tanzi and Schuknecht(2000)が語るところの)「政府介入の黄金時代」(“golden age of government intervention”)においては、(貧困の削減に向けた政策も含めて)幅広い範囲で政府による(市場への)介入が試みられたが、1970年代の後半以降になると、それまでの流れに反発して政府の役割の縮小を求める動きが――経済問題の解決に向けた政府の介入には限界があることを明らかにした政治経済学方面の研究や、積極的で精力的な政治運動に支えられるかたちで――勢いを増し始めることになったのである。

論争の行方や制度改革の方向性は右へ左へと揺れ動いているが、Google Books Ngram Viewerを用いた文献解析によると、「政府介入の黄金時代」の終焉にもかかわらず、貧困に対する世間一般の関心はそれほど薄らいではいないようである。それどころか、「貧困」や「格差」(inequality)といった単語への言及頻度は、20世紀後半を通じてはっきりとした増加傾向を辿っており、1980年代以降に入って、「社会政策」(social policies)や「社会保障(社会的保護)」(social protection)、「市民社会団体」(civil society organisations)といった単語への言及頻度が急速に増えているのだ――その理由のいくらかは、貧困や格差に対する世間一般の関心の高まりに求められるに違いない――(Ravallion 2011)。

今現在、貧困に対する世間一般の注目はこれまでにないほどの高まりを見せているわけだが、この気運をどうやって効果的な行動(取り組み)に結実させたらよいかとなると、それはまた別の問題である。二度目の「貧困への目覚め」の時代においては、意見の不一致があちこちで起こり、貧国の削減に向けた取り組みも成功ばかりではなく失敗もあった。19世紀の大半を通じてと同様に、今現在おいてもまた、政府介入に懐疑的な見方が力を持ち始めている。しかしながら、励みになる事実もある。「貧困は、逃れようのない現実であり、受け入れざるを得ないのだ」という19世紀に支配的だった現状肯定的な態度が蘇るところまでは至っていないのだ。


<参考文献>

●Fleischacker, Samuel (2004), A Short History of Distributive Justice, Harvard University Press.
●Galbraith, John Kenneth (1958), The Affluent Society(邦訳 『ゆたかな社会 決定版』), Mariner Books.
●Harrington, Michael (1962), The Other America: Poverty in the US(邦訳 『もう一つのアメリカ-合衆国の貧困』), Macmillan.
●Michel, Jean-Baptiste, Yuan Kui Shen, Aviva P Aiden, Adrian Veres, Matthew K Gray, The Google Books Team, Joseph P Pickett, Dale Hoiberg, Dan Clancy, Peter Norvig, Jon Orwant, Steven Pinker, Martin A Nowak, and Erez Lieberman Aiden (2010), “Quantitative Analysis of Culture Using Millions of Digitized Books”, Science, 16 December.
●Marshall, Alfred (1890), Principles of Economics (8th edition, 1920)(邦訳 『経済学原理』), Macmillan.
●Murray, Charles A (1984), Losing Ground. American Social Policy 1950-1980, Basic Books.
●Ravallion, Martin (2011), “The Two Poverty Enlightenments: Historical Insights from Digitized Books Spanning Three Centuries”, Policy Research Working Paper 5549, World Bank.
●Smith, Adam (1776), An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations(邦訳 『国富論』), in Edwin Cannan (ed.), The Wealth of Nations, Chicago University Press.
●Tanzi, Vito and Ludger Schuknecht (2000), Public Spending in the 20th Century: A Global Perspective, Cambridge University Press.
●World Bank (1990), World Development Report: Poverty, Oxford University Press.

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